ネット帝国主義


漠然とした不安感は前からあった。



その漠然とした不安感は日増しに大きくなり、時にはつぶやきとなり、仕事場や友人との会話の中にも表れるようになった。



書店でタイトルを見た瞬間、その不安が明確な言葉になり、徹底的に調査され、綿密に構成された出版物という形で姿を現したことで確信に変わった。





漠然とした不安が明確な言葉で表され、社会的に認知されることで想像以上の深刻な問題であることを改めて認識した。



この本の中で使われている「ネット帝国主義」とはこういうことだ。



P180からの抜粋
・・・それは、ネット帝国主義の新たな進化です。
第2次ネット・バブル以降のネット帝国主義は、グーグルが主役であり、オープン・インターネットがそのベースとなっていました。オープン・インターネット上に点在するウェブサイトの情報/コンテンツを検索サービスなどで探すというスタイルを定着させ、マスメディアやコンテンツ企業からコンテンツの流通独占を奪取することで、プラットフォームレイヤーの米国ネット企業の繁栄が実現されたのです。
その意味で、グーグル発のパラダイムシフトは”オープン型”ネット帝国主義であり、そこでの搾取の対象はプロが作るコンテンツだったと言うことができると思います。
こうしたグーグル覇権の帝国主義に対して、ネット上では新たなネット帝国主義が台頭しており、それが電子書籍の主な舞台になっていると考えることができます。それは、アップルやアマゾンが構築した”クローズド型”ネット帝国主義です。
アップルやアマゾンは、プラットフォーム・レイヤーの電子ストアと端末レイヤーの専用端末を融合(垂直統合)することで、オープンなネット上に独自の囲われた空間を作り、ユーザーを囲い込むことに成功しました。・・・



「垂直統合」は決して新しい概念ではない。一世を風靡した「WEB進化論」の梅田望夫氏の近著である「iPadがやってきたから、もう一度ウェブの話をしよう」の中でも取り上げられており、アップルの垂直統合のビジネスモデルを「おもてなし重視のディズニーランド的な快適、安全かつ楽しめる場の提供」と定義し、相対するグーグルの戦略を「オープンかつ大都市的で魅力あふれる、しかし、そこにつきまとう危険性は自己責任」というスタンスをとる水平戦略との戦いとして説明されていたことが印象的だった。



これらが何を表しているかと言うと、「帝国主義の覇権争い」以外の何物でもない。



不安感の源泉はまさにここにある。



世界中で巻き起こっているネット帝国主義の争いの舞台の一つが日本であり、この熾烈な争いが繰り広げられている間にこれらアメリカ製の垂直/水平統合システムが日本の既存の価値創造システムを呑み込み、破壊してしまう可能性が高まっているということ。



冒頭で紹介した本の中では特にクローズド系である垂直統合型のシステムが日本独自のジャーナリズムや音楽を代表とする文化を蝕み、長期的には日本文化や日本の価値観、日本人としての尊厳さえも危険に晒すのではないかと危惧している。



ネット帝国主義は、19世紀後半に世界的に拡がった帝国主義と瓜二つであり、日本への黒船来航からの状況と現在とが酷似していると言わざるを得ない。



幕末には攘夷運動が拡がり、日本を守るという熱気が形を変え、明治維新につながり、結果として開国、文明開化となって花開いた。今の日本に求められていることは、こうした海外からの勢力を排斥することではなく、日本内でスクラムを組み、対抗していくこと。より日本人に適応したサービスや技術を磨き、ひいては海外に打って出ること。



そういうことではないだろうか。



そのために、デファクトスタンダードになりつつあるツイッターやフェースブックなどのアメリカ製のソーシャルメディアもうまく使っていけばよい。



そう信じている。