自分の作品

夏休みの宿題ではなく、書道展に出品するものでもなく、ましてやアカデミー賞受賞作品でもない。



昨日、一昨日とデザインの大切さについてブログを書いた。
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誰かによってデザインされたモノに囲まれるだけでなく、自分で自分の机の上や部屋をデザインすればいい、毎日の生き方もその積み重ねの人生も全く同じことだと書いた。



あらゆるものを自分でデザインするという覚悟が必要だ。



仕事上の企画書や議事録は全体の構成やレイアウトはもとより一行一行、一言一句に伝えるべきことが過不足なく込められているか。メールや掲示板への書き込みも自分で満足のいくものになっているか。会議場のセッティングさえもよい会議を行うためにあらゆる側面から考え抜かれたものになっているか。



そこまで魂を込めたデザインで自分の人生が満ちているか。



そう。



メール一本にさえも「自分の作品」という想いを持って書くべきなのだ。



もちろん、時間の制限を忘れてはならないが自分が携わる全てのこと、一つひとつを自分の作品だと思い、創り上げる気持ちを持って生きることが大事なのではないか。



人生をデザインするというマクロな考え方と同時に「自分の作品」を創るというミクロな覚悟を持ち、ひたすら精進していく。



それが最終的には自分自身を立派な作品にするということになるのかもしれない。