「断末魔の叫び声」をあげているのは「資本主義」である。
昨日、アンジェラ・アキの「モラルの葬式」を紹介した。
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20111014
擬人化された「理性」の子供である「モラル」が亡くなったのは現代人である我々の責任であると論じた。
18世紀に産声を上げた資本主義が今、断末魔の叫び声をあげている。
日本の破綻寸前な財政状況は言うに及ばず、過熱する中国経済はバブルの様相を呈し、ギリシャのソブリン危機に端を発した欧州危機はますます深刻化し、アメリカではリーマンショック後に一旦持ち直したウォール街に人々が不満を爆発させ、大規模デモが進行している。しかも、その勢いは全米だけに留まらず世界中に飛び火しつつある。資本主義はその弱点と限界を露呈し、断末魔の悲鳴としか思えない状態が続いている。
それもこれも人々の「理性」と「モラル」の死が原因と言えるのではないか。
「欲望」が暴走し、「エゴ」と「プライド」が負けじとスピードを上げる。
「傲慢」が顔を出し、勘違いした「優越感」が「厚顔」と「保身」を生む。
資本主義が生み出した怪物たちは社会を救うはずの「科学」さえも傘下に収め、金融工学を思い通りに操り続けている。
「持つ者」はマーケットをも自由自在に操り、マルチプルや倍数の原理であっという間に国家さえも飲み込むほどの力をつけた。
「持たざる者」は資本主義の生み出した怪物の餌食にされ、わずかながらの資産も失い、場合によっては仕事や働く場所さえ取り上げられてしまった。
その怪物たちが自らの膨張と残虐性のために自壊しようとしている。
また、犠牲者たちがここぞとばかりに立ち上がろうとしている。
断末魔の悲鳴をあげている怪物にとどめを刺すことができればそれに越したことはない。
しかし、その怪物を生み出した資本主義に代わる仕組みを我々人類はまだ明確には持たないのだ。
ポスト資本主義の後任争いは既に始まっている。
そこでは旧世界の象徴である競争やエゴが価値を持つ世界ではなく、モラルや理性が尊ばれる場所であることを心の底から切望している。