間抜け

間抜け



と言っても、誰かをけなしているわけではない。



間抜けとは文字通り「間」が抜けていること。



「間」があることで伝えるべきことが際立ち、伝わりやすくなる。



「間」という何も「ない」ことが「ある」ことの重要性を物語るというのは非常に興味深い。



「ない」ことでその役割を果たすということは「ない」ことが「ある」ということにならないだろうか。



単なる言葉遊びではなく、考えが哲学じみてくるつれて連想ゲームが広がってゆく・・・



日本人のデザイン考・・・日本人は「間」=スペースの使い方がうまいのだという。
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20110910



デジタルの世界・・・「ある」ことは1、「ない」ことは0。その組み合わせで表現する世界はデジタルの世界そのものなのではないか。日常生活における「0」と「1」の差も大きいことについて考えてみた。
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20110701



「人間」という言葉・・・「人間」という言葉も人を単体で考えるのではなく、人と人がいて、「間」があってこそ、「人間」になれるということから来ているのではないか。無人島に一人で暮らす人は「人間」とは呼べないという社会学的な見地もあるというようなことも思い出した。



プレゼンテーションやスピーチ、漫才や落語の「間」・・・



今回のトピックを選んだ一番の理由。伝えるべきこと、伝えたいことがあり、それを伝えるためにはそのことだけを並べるのではなく、「間」をうまく使うことが肝要である。人前で話す機会のある時は、今まで以上に「間」の取り方に気をつけてみたい。



また、改めて考えてみると、話す時だけでなく、このブログも「行間」という「間」ばかりが目立つ書き方をしていた。ブログという形式の特性もあるけれど、自分でも意識せぬまま「間」の重要性を取り入れていたことになる。



普段の生活では「間抜け」なことばかりしているけれど、案外(?)肝心なところでは「間」がしっかり取れていると信じたい・・・