誰かの犠牲者

誰かの犠牲者になってはいないだろうか。



会社であろうが、配偶者であろうが、恋人であろうが、両親であろうが、自分が誰かの犠牲者であるという思いが心のどこかにあれば、再考の余地ありだ。



もちろん個々の状況は異なるし、誰がどう見ても「犠牲者」ということは現実の中ではあるだろう。



しかし、ここで問題にしたいのは「犠牲者」というレッテルを自分で自分に貼ってしまうこと。犠牲者という配役を甘受し、認識してしまうこと。



なぜなら、それを認めてしまうことで自分でも気づかぬうちにその役割を演じてしまうから。演技が始まれば、犠牲者としての物語は否が応でも進んでいく。その役割の呪縛に気づかなくなる。



犠牲者としての役割が暗く、苦しく、非生産的であることは想像に難くない。



そんな役割を好んで得ようという人はいないように思えるけれど、自らかける呪縛の力は弱くはない。



とは言え、その呪縛を解くことは決して難しいというわけでもない。



別の役割を与えればいいのだ。



誰かの犠牲になっているという役割から自分で自分の人生をコントロールしている配役に変えるだけでいい。



どんな状況においても、自分が選んでいる、主体性を持っているという感覚が自分を自分の物語の主人公に変えることができるということ。



変わるのは一瞬。



もう誰かの犠牲者であることはやめよう。



自分で自分の呪縛から解き放とうではないか。