らしさの風化

男らしさ、女らしさ、子供らしさ、自分らしさ、ソニーらしさ、トヨタらしさ、日本人らしさ・・・



「らしさ」がどんどん失われてきているのではないか。



「あるべき姿」という幻想から解き放たれ、「あるがまま」「自由」であることが尊ばれる風潮の副作用かもしれない。



「らしさ」が無くなることのマイナス面は「アイデンティティの喪失」に繋がること。「喪失」とまでいかずとも、「個」が「全体」と同化していく過程で存在意義が薄くなり、軽くなり、風化していく。果ては、実体のない、掴みにくいふわふわとした存在になってしまう。



ふわふわとした存在は、そこに「ある」ことはできても、目的地に自分の意志で辿り着くことはできない。全てをあるがままに受け入れることはできても、自分の意志で取捨選択することはできない。



「らしさ」とはそのまま「存在意義」を表しているのかもしれない。



男らしさって何? 女らしさって? 子供らしいってどういうこと? 



マクドナルドやウィンドウズ、最近ではスターバックスやフェースブックと共に輸入された個人主義や自由主義、自己実現といった観念が我々の気づかぬうちに「日本人らしさ」や「存在意義」すら風化させつつあるのではないだろうか。



「自分らしさ」って何だっけ・・・



そんな風にだけはなりたくない。



なってはいけない。