規制の虜

「規制の虜」



勝手な造語ではない。れっきとした経済学用語である。



今日の日本経済新聞より



▼規制の虜 政府の規制官庁が業界に取り込まれ、規制を作っても骨抜きになったり業界の利益誘導の片棒を担いだりすること。情報の非対称によるいわゆる「政府の失敗」で、規制する側が専門知識や情報の面で規制される側よりも劣る場合に起こる。退職後の人事の保証(天下り)を伴うこともある。ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大のジョージ・スティグラー氏が指摘した。以上



福島原子力発電所の事故を国会の事故調査委員会がまとめた最終報告で使われた言葉。少し長めだけれど本日付の日経新聞の記事をそのまま引用させてもらおう。



原発への監督機能「崩壊していた」 国会事故調 東電とのなれあい批判



 国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(黒川清委員長)は5日発表した最終報告書で、原発の安全性を高める規制の先送りを働き掛けた東京電力と黙認した規制当局のなれあいの関係を厳しく批判した。原発に関する情報や専門性で優位に立つ東電に当局が取り込まれ「監視・監督機能が崩壊していた」と指摘。事前に対策を立てずに被害拡大を許した「根源的原因」と断じた。



 「規制当局は電力事業者の『虜(とりこ)』となっていた」。報告書は東電と経済産業省原子力安全・保安院や内閣府原子力安全委員会との関係を経済学用語の「規制の虜」で説明した。規制される側が情報を独占し、規制する側を言いなりにしてしまう状況だ。

 国会事故調によると、東電は原発の安全性を高める規制の導入に対して原子炉の稼働率低下や安全性に関してこれまで積み上げてきた主張を維持できなくなる「訴訟リスク」を懸念した。こうした事態を避けるため、情報の優位性を武器に電気事業連合会などを通じて当局に規制先送りや基準軟化に向けた強い圧力をかけてきたという。

 東電よりも専門性で劣る保安院や安全委も過去に安全と認めた原発での訴訟リスクを恐れた。保安院自体も原子力推進官庁である経産省の一部だったため、東電に取り込まれたと分析した。

 たとえば2006年に新指針で全国の原子力事業者に耐震安全性評価(バックチェック)の実施を求めたが、東電では進まなかった。東電や保安院は耐震補強工事が必要と認識しながら福島第1原発1〜3号機で工事をせず、保安院は大幅な遅れを黙認したという。

 事故直後の対応では、東電経営陣、規制当局、首相官邸のいずれも「準備も心構えもなく、被害拡大を防ぐことができなかった」と厳しく責任を追及した。過去の事故の規模を超える災害の備えが無い保安院は原子力災害対策本部の事務局の役割を果たせなかった。

 東電本店も的確な情報を官邸に伝えて現場を技術支援する役割を果たせなかった。国会事故調は「官邸の顔色をうかがい官邸の意向を現場に伝える役割だけの状態」と指摘。機能不全の保安院と情報不足の東電に不信感を強めた官邸では、当時の菅直人首相が発電所に直接乗り込み指示する事態になった。その菅氏の判断も「指揮命令系統の混乱を拡大する結果となった」と非難した。

 菅氏は5日、報告書に対して「官邸の事故対応に対する評価や東電の撤退を巡る問題などで私の理解とは異なる」との談話を発表。事故対応の検証のため、東電に対してテレビ会議記録など一層の情報開示を求めた。以上



「規制の虜」・・・



キャッチーな表現で端的に状況説明ができるという利点はあるかもしれないけれど、その言葉の軽い響きと知れば知るほど怒りが込み上げてくる状況は簡単に納得できるものではない。



「虜」にならぬよう心がけ、監視することが保安院、安全委員会の仕事であり、それこそが存在意義であったにも拘わらずこのような事態を招いた。



その責任は、果てしなく、重い。



政府や官僚だけに任せておけないということを史上最悪の形で学ばせられたということ。



それでもここから学ばなければ亡くなった方々は浮かばれない。



もう一度、



もう一度、



我々が学んだことを明確にし、このような過ちを二度と犯さないような仕組みを作っていかなければならない。



我々は何者の虜になってはいけないのだから。



自由でなければならないのだから。