満足の定義

満足とは、
努力を放棄することなどではなく、
努力を不安から解放することです。



その文章を読んだ瞬間に目の前に引かれてあったレースのカーテンがサーッと開いた感覚に捕われた。



文章は続く。



それは、罪や無知や愚かさなどを受け入れることではなく、果たされている責任、行われている仕事とともに幸せに休息することです。
なかには、卑しい人生を歩むこと、罪と疑いのなかにとどまりつづけることに満足している、と言う人たちもいます。しかしながら、そういった人たちがほんとうに手にしているのは、自分の責任や義務に体する無関心にほかなりません。彼らは、満足と言う美徳を所持しているとは、とうてい言いがたく、真の満足に伴う永続的で純粋な喜びを決して体験することがありません。中略



進歩をめざして努力している人間がつねに満足してしかるべき、三つのものがあります。



①自分の人生内で発生するすべてのこと
②自分がいま所持しているもの
③自分がめぐらす清らかな思い



私たちは、自分の人生内で発生するすべてのことに満足することで、悲しみや落胆から自由になります。自分がいま所持しているものに満足することで、不安や不幸から自由になります。自分がめぐらす清らかな思いに満足することで、自らを苦悩に陥れる、けがれた思いから自由になります。



進歩をめざして努力している人間が満足してはならない、三つのものがあります。



①自分の知識
②自分の人格
③自分の知恵



自分の知識に満足しないことで、人間は持続的に知識を拡大します。自分の人格に満足しないことで、人間は休むことなく、強さと清らかさを増しつづけます。自分の知恵に満足しないことで、人間は日を追うごとに、より大きな知恵の中に進入します。



ようするに、進歩を目指して努力している人間は、人生のなかで手にする結果と、自分が巡らす清らかな思いには、つねに満足を感じてしかるべきですが、神性を授かった責任ある存在として、自分の進歩には決して満足してはならない(無関心であってはならない)、ということがこの章のポイントです。



真の満足を感じている人たちは、精力的かつ勤勉に働き、あらゆる結果を、増加した知恵や知識とともに、穏やかな心で受け入れます。



彼らは、常に最善の結果をめざして努力を続けますが、「いかなる結果も努力の内容と正確に一致したものである」ということを知っています。



彼らが手にすることになる物質的な富は、そのすべてが、貪欲や不安、敵意などの結果ではなく、正しい思い、賢い行い、清らかな努力の結果です。以上



随分と長く引用してきた本は「原因と結果の法則③ 困難を超えて」ジェームズ・アレン 、「真の満足」の章である。



ここ最近ハングリーであることの大切さを改めて感じる機会が何度かあり、満足しないことの重要性を考えつつどこかに違和感も感じていただけにサーッと目の前が開けた気分になれた。



「真の満足」を目指して、



今日もがんばろう。