無視される答え

昨日のブログでは下手ではあるけれど聴者の胸を打つ素晴らしいプレゼンテーションについて実体験を元に考えてみた。
下手で素晴らしいプレゼンテーション
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130305



今日は、別の形のプレゼンテーションをきっかけに最近気づいたことを掘り下げて考えてみたい。



最もつまらないプレゼンテーション(話)の一つは一般論を力説するもの。(あ、私のプレゼンやブログ・・・^_^;)



一般論とは、様々な考え方や議論がある中で広く受け入れられているもののこと。言い換えると誰もが知っている答え。例えば、親孝行せよとか、他人には親切にせよとか、挨拶は大切とか、早寝早起きは健康によいとか、愛こそすべてとか・・・



これらは人類が長い歴史の中で学んできた人生をより良く生きるための答えであり、叡智であり、エッセンスであるはずなのに、我々はその価値をどこまで理解しているのだろうかと疑問に思うことが少なくない。



答え=一般論を与えられるプレゼンテーション(話)に面白みを感じないのも、親や上司にするべきことを押し付けられても心を動かされないのは、鈍感だからではなく、ただ単にそれが「人生の仕組み」だからではないかと気がついた。



結局のところ、人は答えだけを与えられても、問題に悩んだり、苦しんだりした経験がなければ、そのありがたみはわからない。



答えを求めていなければ、その答えには何の意味もないということ。



探していないものを渡されてもピンとこないのと同じ。お腹がいっぱいなのに食べ物を前に出されるのと同じ。欲しいと思っていないものをもらうのと同じ。



つまり、問題意識のないところに答えは存在しないのだ。



「無視される答え」は当人にとっては不要のものであり、無視されてしかるべきということになる。



それも「人生の仕組み」の一つのようである。