死の跳躍

昨日のブログの最後に「死の跳躍」という言葉を使った。
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130320



明治維新を間近で目撃したドイツ人医師エルヴィン・ベルツが「ベルツの日記」で書き残している。



「わたしは、この極めて興味ある実験の立会人たる幸運に恵まれたしだいです。」



司馬遼太郎は「翔ぶが如く」(6巻)の中でベルツの考察をこうまとめている。「ベルツによれば、日本はほんのこの間まで、ヨーロッパの中世騎士時代(封建制度や教会、僧院、同業組合などをもつ中世社会)だったのが『五百年たっぷりの期間を飛び越えて、十九世紀の全成果を即座に、しかも一時にわが物にしようとしている』というのである。ベルツは、『これは真実、途方もない大きな文化の『革命』です。−何しろ根底からの変革である以上、『発展』とは申せませんから』と書き、これを『大跳躍』とも表現している。さらにその大跳躍については、ベルツは日本人がそれに成功するかどうかをあやぶみ、むしろこれを『死の跳躍』と言い、『その際、日本国民が頸を折らなければ何よりなのですが」と書いている」



明治維新という壮大な創造的破壊が「死の跳躍」と映ったとしても何の不思議もないであろう。実際、明治維新で行われた破壊は現代人が想像もし得ない程の威力を発揮し、多くの人々の人生を激変させ、失わせる結果となった。(「翔ぶが如く」自体が明治維新という創造的破壊への拒絶反応を描いた小説とも言える)



産業の変化に関しても同書の中でこのような例が挙げられていた。



「この年の七月、京都と大阪のあいだに鉄道が開通した。このため江戸時代二百数十年を通じて盛んだった京・大阪の淀川の客船(三十石船)は一時にさびれ、三十石船は発着させていた伏見や天満の船宿が軒並み廃業するという始末になった。太政官の「開花事業」は、機関車が驀進するようなようないきおいで進み、同時に右の三十石船や船宿のような旧文化を、轟々と回転する鉄輪でもって圧殺した。」



数十年後、数百年後の世界から見れば、明治維新は偉大な革命だったことに間違いはない。



しかし、激動の最中にいた当人たちにとってはまさに「死の跳躍」だったことも間違いはない。



その壮絶なる破壊があってこそ始まった創造であり、その後の発展に繋がっていったのであろう。



翻って、今の我々の社会を見渡してみる。



ソフトランディングと言えば綺麗に聞こえるけれど、結局のところ小手先だけの改善、改修では「創造」や「発展」は生まれない。



今こそ再び開国をする時であり、死の跳躍を再現する時なのかもしれない。



TPPはその絶好の機会ではないか。