水と空気と安全の価格

水と空気と安全はただ



そう言われたのはもう随分昔の話。



この3日間、水と空気と安全にちなんだ言葉を選び、ブログを書いてきた。



魔法の水       http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130417
空気の景色      http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130418
安全という神話    http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130419



いつの頃からか水道水をそのまま飲むことに抵抗感が生まれるようになった。浄水器の設置には費用がかかり、ミネラルウォーターは「魔法の水」(=油)より高いものまで出現した。



空気は一昔前の公害(光化学スモッグほか)から始まり、今では杉花粉や黄砂が空を舞い、PM2.5という何の略かもわからない得体の知れないものにまで注意を払わなければならなくなってしまった。街を歩く人の多くがマスクをし、空気清浄機が人気商品にまでなっている。



安全も全く同じ。福島原発の事故をきっかけに日本中の原発の稼働が見あわされ、その結果、電気代は上昇を続けている。失われた20年という不況のせいで防犯のための費用も増加を続ける一方だ。



いつの間に我々の世界はこんな風になってしまったのだろう。



科学や技術の進歩のおかげで我々の生活は便利になった。しかし、一方で多くのものを失ってしまった。



長いデフレのおかげで物価は下がったけれど、それまで無料だったものにコストがかかるようになり、安価だったものがかなりの額になってしまった。



社会の進歩とは、便利になるにつれ何にでもお金がかかるようになることを意味するのだろうか。



昔は無料だった水や空気や安全が有料になったということは、この先あらゆるものに価格がつくことを予言しているのかもしれない。



愛や友情、希望や夢にもいつかは値札がつき・・・



あっ・・・