意味探しの無意味さ

昨日のブログでこう書いた。



喜ばしい出来事も心が締め付けられるような悲しい事も淡々と過ぎていく平凡な日々も一つひとつの出来事の意味を見つけられれば、世界は瞬時に変わる。



起こった事実に隠れている意味を見つけられる「優秀な調査員」になりたい。



と。



優秀な調査員
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130715



それ以前にも何度か同じようなことを考えた。



それらは起こる全てのことに意味があることを前提にしている。



一方で、出来事には意味などなく、偶然の積み重ねに過ぎない、という考え方もある。



それが正しければ、意味を探すことは無駄なこと、意味のないことになる。



意味付けは全くの創作になる。



何を信じるかは人による。



どんな宗教を信じようが、信じまいが、誰かに迷惑さえかけなければ問題はない。



個人的には「全ては偶然ではない」という考え方を信じている。



それも宗教の一つ??



それ故に、昨日のブログに辿り着いたわけだけれど、柔軟な思考を持つこともまた別の次元で大切なこと。



反対の立場に身を置くことも良い練習になる。



意味探しの意味深さを強調するためにも意味探しの無意味さについて考えることも無意味なことではない。