人は感情で決めて、後から論理で正当化する
そう聞いて、腑に落ちた。
「頭ではわかるけれど、気持ちがついていかない」
「気に入ったけれど、本当にこれでいいかわからない」
「そうしたいけれど、しないほうがいいのを知っている」
これまでにも何度こういったことがあっただろう。
いや、
ある意味、毎日、毎時間、毎分、毎秒、全ての判断がそのシステムを採用していると言っても過言ではない・・・のではないか。少なくとも個人的なこと、日常生活では。
組織において責任ある立場の人はその判断、決断に論理(頭)を優先させるのは当然だろうけれど、勘や第六感といった未解明な世界も実は同じシステムが適用されていることも十分にあり得る。
それに加え、組織もまた人の集まりであり、関係者も人である限り、その集合体においても個人のルールが適用されても問題にならないのではないか。
長年乗り続けた車を買い換えようとしている。
長年使い続けたテレビを買い替えようとしている。
どのメーカーにするのか、
どの製品にするのか、
誰から買うのか、
その決定にも感情が優先し、論理で正当化しようとしている自分に気づいた。