勇気 ー最後に残るもの、問われるものー

 
 昨日のブログで「嫌われる勇気」の書評のようなものを書いた。
 
 
本は読み易く、わかり易く書かれてあるものの真の理解、自分のものにして行動に移せるようになるまでにはしばらく時間がかかりそう。
 
 
実際、本文でもアドラー心理学は行動面で難しさを伴い、それまで生きてきた人生の半分の時間が必要とされていると書かれてあった。例えば、20歳の人であれば10年かかるし、40歳の人であれば20年かかると。
 
 
それでもいま始めることに価値があり、その積み重ねこそが真に望む姿になるために必要なことだと自然にわかる。
 
 
自分なりの理解を改めて言葉にしてみたい。


それがこれまでの人生の半分の時間をかけずに済む方法になればいいなと思いながら。
 

まず、
 
 
自分が自意識過剰なことに気づいた。(恥ずかし!)
 
 
頭の中であれこれ考えたり、緊張したりするのは、結局のところ自分がどう見られているか、どう思われるのかを気にしているから。自分のことしか考えていないから、に気づかされた。
 
 
「課題の分離」は何とはなしにわかっていたつもりだったけれど、その必要性が具体例と共に明確に語られていたことで自分の中の一番大きな課題だと感じた。


自分の課題と他者の課題をきちんと切り分ける。他者の課題を自分の課題と思わない。
 
 
それを実践するためには勇気が必要なことも学んだ。タイトルの「嫌われる勇気」はもとより「バカと思われる勇気」「孤立してもいいと思える勇気」も必要だ。
 
 
あとは、今この瞬間を生きることを再認識できたこと。
 
 
我々は過去に生きることも未来に生きることできない。今この瞬間しかなく、この刹那に強烈なスポットライトを当てることの意味と価値を今までとは全く異なるレベルで理解できたことも大きかった。


あとは勇気を持つこと。発揮すること。


自分が真に望んでいることを手にする勇気を持つこと。


そのために変わる勇気を持つこと。


心が折れてもいい。諦めてもいい。


何度挫けても、


立ち上がる勇気を持っていたい。