未来の当たり前



数百年前の人々は現代の生活がどのようなものか想像しただろうか。


戦国時代、未来の人類が空を飛んだり、弾丸のように地を駆け抜ける乗り物に乗って移動するなど誰が夢見ただろうか。


世界中の人々と繋がり、会話や手紙のやり取りが一瞬でできるようになるなど絵空事としか思っていなかったのではないか。


その時代その時代の常識、定説があり、科学の発展、技術の進展によってわからなかったことがわかるようになり、できないと思われていたことができるようになる。


産業革命以降、特に20世紀に起こった科学技術の進歩は圧倒的であり、100年前と現代とでは全く別世界と言ってもいいほどの違いがある。


昨日のブログでは小さな自分の中の定説が崩れたことをきっかけに世界的な定説がひっくり返った過去に想像力を広げてみた。(定説が崩れる時 - おもしろきこともなき世をおもしろく


今から数百年後の地球ではどんな世界が広がっているのだろう。


宇宙開発は当然のこと。タイムマシンも瞬間移動もテレパシーも当たり前のものになっているかもしれない。死後の世界が解き明かされ、生きる意味、死の価値が今とは全く異なる常識の上で人々が暮らしているかもしれない。


梅雨空の下、「未来の当たり前」を暫し考えてみたくなった。