昨日のブログで「サンタクロースの行方」について書いた。
その最後に「不在の証明」は不可能と書いて、ちょっと気になって調べてみると面白いことに気づいた。
物事が存在しないことを証明することを「悪魔の証明」と言うらしい。
厳密に言うと「ある事実、現象が全くないことを証明させてはならないという論争上の原則の一つ」だそう。
はてなキーワードでもこう説明されている。
悪魔の証明とは、「ある事実・現象が『全くない(なかった)』」というような、それを証明することが非常に困難な命題を証明すること。例えば「アイルランドに蛇はいる」ということを証明するとしたら、アイルランドで蛇を一匹捕まえて来ればよいが、「アイルランドに蛇はいない」ということの証明はアイルランド全土を探査しなくてはならないので非常に困難、事実上不可能であるというような場合、これを悪魔の証明という。
新約聖書にあるサタンがイエスを試した逸話から来ている。ある論争に際して、そもそも挙証が困難な命題の証明を相手に迫ることもひとつのディベートのテクニックではあるが、それを悪魔の証明だ、と相手が指摘することが挙証責任を転嫁する際の決めぜりふであるということには必ずしもならない。
とあるニュース番組でSTAP細胞の事件と類似する状況が数十年前のアメリカであり、その後数年経ってから存在が証明されたという話を聞いた。
それ以来ずっと気になっていた。
もしかするとSTAP細胞は「悪魔の証明」なのかもしれないと。
この度STAP細胞論文に関する調査結果が提出され、その存在が明確に否定された。
小保方氏も理化学研究所を退職した。(特に興味があるわけではないけれど、「これからどうするのだろう?」「たいへんだろうなあ」「海外でやり直すしかないのではないか」・・・などと何となく気にはなっている)
STAP細胞の存在は確認されなかったけれど、研究中の彼女の心の中に虚栄や謀略といった悪魔の心が存在しなかったとは誰にも証明できない。
まさに悪魔の証明。
我々がそこから何を学び、何を改善していくのか。
改めて考えてなければならない。