約束の地
Promised Land
昨日のブログの最後でそんな言葉を使った。(偶有性の海に流れる潮流)
約束の地(ヘブライ語: הארץ המובטחת, 翻字: ha-Aretz ha-Muvtachat: 英語: Promised Land)は、ヘブライ語聖書に記された、神がイスラエルの民に与えると約束した土地。この約束は、アブラハムに最初に与えられ(創世記15:18-21)、次いでその息子イサクに、さらにイサクの息子でアブラハムの孫であるヤコブにも与えられた(創世記28:13)。約束の地は、「エジプトの川」からユーフラテス川までの領域とされ(創世記15:18-21、出エジプト記23:31)、出エジプトの後、約束をされた者の子孫に与えられるとされた(申命記1:8)。
約束の地は、イスラエルの民がカナンの地に至った後における「イスラエルの地 (Land of Israel)」(サムエル記上13:19 に初出)とは(重なり合うものの)別の概念である。ユダヤ教の一部の宗派では、信者に与えられる約束の地の場所を明らかにするメシアがやがて到来すると信じている。
それでも敢えて使ったのは自分自身でもあやふやな運命論について考えてみたくなったから。
我々が生きている先に「約束の地」はあるのか?
我々の人生の行き先は予め決められているのか?
約束された場所が存在するのか?
筆者は、一人ひとりの人生が予め決められているとは思わないし、思いたくもないけれど、時に何かに導かれているように感じることはある。
大きな何かに。
偉大なる存在に。
その答えは、恐らく解明されることはないのだろうけれど、常に選択肢があり、それを自分の意思で選ぶことが生きる意味だと思っていたい。たとえ、その結果が大いなる存在の判断に委ねられることになったとしても。
人類全体の「約束の地」についてはこんな風に考えることもできる。
この世に生を受けた存在はいつかは必ず死を迎える。
そこに例外は存在しない。
そう考えるのであれば、我々人類にとって約束された場所、「約束の地」は「あの世」なのかもしれない・・・ と。