欠点にかける時間

 
昨日のブログの最後をこう締め括った。(社会の構成人
 
社会はいろんな構成人で成り立っている。
それぞれの人には得意なことと不得意なことがある。
それぞれの欠点を嘆くことに意味がない。
なぜなら、社会はそれぞれの欠点ではなく、得意なことで構成されているのだから。
常にそのことを頭の片隅に置いておきたい。

 

 とかく日本人は欠点に目が行きがち。
 
 
学校の成績なら10点満点中10が幾つあったかよりも3、4があればそれを伸ばすことに重点を置く。
 
 
工業製品の欠陥率を下げる試みもトヨタの”カイゼン”も欠点を補う視点から出発する。
 
 
欠点を埋めることに必死になることも一つの方法ではあるけれど、昨日のブログで書いた通り、人は欠点ではなく、得意なことで評価される。得意なことが認められるからこそその場所にいる。
 
 
と同時に、その人がその人であるのはその欠点があるから。
 
 
欠点を無くせば、欠点のない人になる。
 
 
ただそれだけのこと。
 
 
しかも、欠点を無くすためにかける時間とエネルギーは膨大になる(傾向がある)。
 
 
結局は、時間の無駄。
 
 
それよりも得意なことにかける時間の方が効率的かつ、楽しい。
 
 
欠点にかける時間は、極力減らそう。