光を照らす

 
 
最近自転車の規制が厳しくなっている。
 
 
雨の日に傘を差して乗ることも、お酒をひっかけて乗ることも、音楽を聴きながら乗ることも取締りの対象。
 
 
夜間にライトを点灯しないことも同じ。
 
 
随分以前のことだけれど、夜間無点灯で走行中に警察から注意を受けたことがある。その頃は今ほどうるさくなかったので注意を受けるだけで済んだけれど、古い自転車の摩擦式ライトはほとんど無意味・・・と言い訳とも苦情とも言える弁解をしたのを覚えている。
 
 
その時気づかされたのは自転車の点灯は暗闇で自分の運転をしやすくするためではなく、周りの車や人に自分の存在を知らしめるためだということ。
 
 
自転車のライトは見るためではなく、見られるためだったんだ、と。
 
 
自分のためではなく、相手のためだった、と。(そんな当たり前のことも当時はわからず、照明が明るかったら赤面がばれたに違いない・・・汗)
 
 
自分がしていること、しなければならないことはいつも自分のためだと思っていた。
 
 
自転車のライトだけではなく、自分が求められていること、していること、しなければならないことが自分のため以上に周りの人のため、ということも少なくないのかもしれない。
 
 
そんな貴重なことを見つけられるようもっと光を照らしたいと思った。