剥き出しの我


自分の好きなように生きる、ありのままの自分でいる、自分という存在の核を意識して生きる・・・


最近よく言われることだし、このブログでも何度となく取り上げている重要なテーマ。


それは、剥き出しの我であれ、では決してなく、あくまで自分のアイデンティティやミッション(使命)を対象とした言葉である。


しかし、人間にはこうした理性だけではなく、動物としての野生の部分もあることを忘れてはならない。


マナーや礼儀作法はそれを覆う一つの手段。


ある見方をすれば、それが洗練であり、文化であり、文明と言っても過言ではない。


自分の「剥き出しの我」をどう覆うのか、


時々は見直したいものである。