ここ最近「置き土産」についてずっと考えている。
博多通りもん、めんべえ、ゆかり、フィナンシェ・・・
といったお土産ではなく、去る人が残る人のために置いていくもの。
ある人から巨大な置き土産をいただいた。
無限の価値のある置き土産。
それをどう活かすのかを考えるのが残った人の仕事であり、置き土産を残してくれた人への恩返し。
そのことに想いが広がると、いつかは来る自分の順番と自分が残すべき置き土産について想いが及んだ。
無限にあると思えた時間はいつしかそれほど残されていない。
砂時計の砂は落ち続けている・・・
置き土産の選定に入らなければならない。