「手の切れるような」という表現がある。
辞書で調べると「紙幣が新しく、しわのないたとえ、冷たい水のたとえ」とある。
それ以外にもその道の職人が魂を込めて作り上げることで単なる商品というよりは作品に近い状態を言う。
そんな「手の切れるような」作品は一部の限られた職人だけの特権・・・
だろうか。
仕事で間違いが散見される報告書を目にしてふとそんなことを考えた。
普通の仕事をしている人も報告書や企画書の作成時には最大限の注意を払い、一言一句に魂を込めることはできる。
主婦も家事に工夫と愛情で「手の切れるような」という表現はふさわしくはなくてもそんな意味の家庭という空間を作ることはできる。(炊事は実際に手の切れる仕事ではあるが)
要は、自分自身で高い、崇高な目標を持ち、それに向けて妥協を許さず、言わば、自分の分身を作るような気構えでことに当たる。
そんな芸術作品を作る心構えを持って生きる。
自分でやろうと思えば。
やる覚悟さえ決めれば。
千里の道も一歩から始めればいい。