バベルの塔

 

昨日のブログの最後に「バベルの塔」について触れた。(砂上の楼閣)

 

砂上の楼閣がバベルの塔にならなければいいと。

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/バベルの塔

 

旧約聖書によると昔世界は一つの言葉を話していたという。

さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。」(創世記11:1)

 

バベルの塔を築き、天にまで登ろうとした人類は神の怒りを買い、塔が壊されるだけでなく言葉さえバラバラにされ、互いにコミュニケーションが取れなくなった。

 

数千年の試行錯誤を経て、人類は他言語の習得に汗をかき、時間をかけ、エネルギーを費やし、再び互いにコミュニケーションを取れるようになった。

 

産業革命を経て、20世紀の情報革命で電話やFAX、インターネットで遠隔地にいる人とのコミュニケーションも可能となり、21世紀に入ってからもテクノロジーは進化を続け、A IやIoT、音声認識や自動翻訳まで登場しその勢いは衰えるどころか更に強まっている。

 

VRやAR、ドローンや3Dプリンター、医療やバイオの世界も十数年前では考えられないような状況が出現し始め、シンギュラリティを越えた世界について様々なことが囁かれるようになっている。

 

それはある意味人類が再びバベルの塔を建設していると言っていいのかもしれない。

 

実際にこんなものまで普通に取り上げられるようになっているのだ。

 

https://www.google.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASKDZ755BKDZUDCB008.html

 

http://www.jsea.jp/about-se/How-to-know-SE.html

 

ノアの子孫が神の怒りを買った同じ轍は踏まぬよう忖度するのがよいのか、

 

或いは、あるべき姿から目を離さず信じる道を、天に向かって、登り続けるのがよいのか。

 

神のみぞ知るである。

 

急いでロデム、ロプロス、ポセイドンを探さなければならない。