いざに備える

 

交番の前に立っている警官の横を通り過ぎてふと思った。

 

いざとなった時に力を発揮する仕事はたいへんだと。

 

「いざ」がどんな時なのか、どの程度の頻度で起こるのか、起こるかどうかさえわからない「いざ」という瞬間に備えるのは並大抵の覚悟がなければならない。

 

そう感じた。

 

骨を折って何かをするのはたいへんだけれど、何らかの見返りは期待するのが普通だし、功利的な側面が人間にあることは否定しても嘆いてみたところで何ら変わらない。

 

「いざ」という起こるか起こらないことに備えるのは利が薄い(と私が思うだけかもしれないけれど)ゆえにそこに時間と力を入れられる人は偉いと思った。

 

もちろん「いざ」にきちんと対応することができればそれこそ大きな成果となり、普段では考えられないような報いがあることで功利主義はここでも機能しているのだろうけれど、時間軸の目盛りの大きさに次元の違いを感じざるを得ない。

 

来るか来ないかわからない「いざに備える」

価値とコストを考えてみたい。