遠慮という重罪

 

遠慮が美徳という時代はとうに去った。

 

遠慮や謙遜、配慮や尊重が現状維持という既得権益保護の力になっているとすれば、無意識であろうが、意図的であろうが、崩壊の手助けをしていると言っても言い過ぎではない。

 

良かれと思ってしていることが、真反対の結果を後押ししていることになるから。

 

そんな状態を放置し続けるわけにはいかない。

 

遠慮は美徳どころか重罪であり、出しゃばろうが、他人の足を踏もうが、出る杭が打たれようが関係ない。

 

全体のことを考え、遠慮することがどんな影響を及ぼすのか、意味を持つのか、その先に何が待っているのか、

 

全てを考えて、

 

どうするかを選びたい。

 

勇気を持って。