我慢という美徳

「自分は何を我慢しているのだろう?」

昨日の「気づく」という詩を読んでふと考えた。

「特に何かを我慢しているとは思わない」

それが最初の思い。

「いや、待てよ。何かというか、全てを我慢しているのかも」

それが次の疑問。

そして冒頭の問い。

 

我慢を解放したい。

まずは、飼い慣らされ、重りを足に付けたまま逃げ出すことを忘れた象のような我慢を発散させたい。

 

そのためには、抑制され続け、いつの間にか我慢を我慢とさえ感じなくなっている現状に気づくこと。

 

我慢が美徳とされた時代はとうに過ぎ去った。

 

したいこと、やりたいこと、やるべきこと、

そんな使命を思い出し、実行しまくっていきたい。