聖戦なるもの

 

ハッと息を呑んだ。

 

対米英宣戦が布告されて、からっとした気持ちです。・・・聖戦という意味も、これではっきりしますし、戦争目的も簡単明瞭となり、新しい勇気もでてきたし、万事やりよくなりました

本多顕彰

 

大戦争がちょうどいい時にはじまってくれたという気持ちなのだ。戦争は思想のいろいろなものを一挙になくしてくれた。無駄なものがいろいろあればこそ無駄な口をきかねばならなかった

小林秀雄

 

勝利は、日本民族にとって実に長いあいだの夢であったと思う。即ち嘗てペルリによって武力的に開国を迫られた我が国の、これこそ最初にして最大の苛烈極まる返答であり、復讐だったのである。維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙にして晴らすべきときが来のである

亀井勝一郎

 

戦いはついに始まった。そして大勝した。先祖を神だと信じた民族が勝ったのだ。自分は不思議以上のものを感じた。出るものが出たのだ。それはもっとも自然なことだ。自分がパリにいるとき、毎夜念じて伊勢の大廟を拝したことが、ついに顕れてしまったのである

横光利一

 

これらは、1941年12月8日日本海軍が真珠湾攻撃を成功させた後に著名人がどう感じ、何を言ったかの記録である。

 

過去に遡って当時の判断や言動行動を断罪することは容易い。

 

実際上記出典元にも戦後に振り返った時の真珠湾攻撃の日の回想は全く異なる内容もあった旨も補足されている。

 

もしあの戦争に勝っていたら・・・

 

正義が正義として罷り通っていたら・・・

 

いやいや、正義の戦争や聖戦なるものなど在りはしない。