言葉の語源

 

昨日、一昨日と「言葉」について書いた。(言葉という形言葉を選ぶ

 

言の葉の庭」という「君の名は」の新海誠監督のアニメを見たこともあって、

 

 

劇場アニメーション『言の葉の庭』 DVD

劇場アニメーション『言の葉の庭』 DVD

 

 

「言葉」の語源、由来について調べてみたくなった。

 

すると、こんな素敵な説明に出合った。

 

言葉というのは、人が声に出したり文字に書いて表す意味のある表現のことをいいます。

 

また、言葉には真実もあれば嘘もあり、物事を説明する為ではなくて、私たちの「感情」を相手に伝えるための手段の一つでもあります。

 

人間は、この「言葉」という手段を使う事によって、歴史上で文明を築き、そしてそれを発展させてきたといっても過言ではないと思います。

 

言葉の由来について

 

さて、言葉の意味はわかったと思いますが、ではなぜ日本ではこのコミュニケーションの手段を「言葉」というようになったのでしょうか。

 

言葉の語源というのは「言」と「端」の複合語とされているそうです。

 

そもそも「言」という文字は「事」と同じ意味を持っているといい、「事」は「真実を表す重大な意味」を持っているものだったといいます。

 

しかし、私たちが発するものは決してすべてが真実ではありません。

 

そこで、軽い意味を持たせようとして「端(は)」を加えて「言端(ことは)と表現するようになったとされています。

 

奈良時代万葉集には「言葉」「言羽」「辞」という3種類の文字が使われていたといいます。

 

複数ある中で「言葉」が使われるようになったのですが、「古今和歌集」の中で「ことの葉」という表現がされたことによって、「葉はたくさんの意味で豊かさを表現している」と考えられ、それが「言葉」として定着していたたのではないかと考えられているようです。

 

ot7.jp

 

自分の「言の葉の世界」をもっと広げてみたいと思った。

 

言葉を選ぶ

 

普段から使う言葉に注意を払いたい。

 

昨日のブログの冒頭と締めの言葉にそう書いた。(言葉という形

 

母語であれば自分が話す内容には注意をしても言葉の一つひとつにまで注意を払ったり、言葉を選ぶということはそれほど多くはない。

 

もちろんプレゼンテーションや重要な会議で発言を求められる時にはいつも以上に気をつけるけれど、「いざ」という時だけでは思うようにはいかないもの。

 

普段の会話から自分の想いや考えを誰かに伝える時には言葉を選びたい。(と言っても家族や友人たちとのリラックスした雰囲気の中でというのは少し行き過ぎかもしれないけれど、職場なら絶好の機会だ)

 

自分の口から発せられる言葉が本当に自分の中にある想いや考えを一番的確に表すのか、他によりよい言葉や表現、言い回しはないのか。例え話や比喩でより相手にわかりやすく、イメージしやすい方法はないか。

 

言葉を選ぶ

 

それをゲームとして、自分を高めるトレーニングとして、自分アップデートの一環として捉え、励みたい。

 

レベルを2段階、3段階上げて。

 

上げられるように。

 

 

言葉という形

 

普段から使う言葉に注意を払いたい。

 

脳は圧倒的な複雑さと驚嘆するほどの能力を秘めている一方で、驚くほどの単純さを併せ持つ。

 

抽象的な概念をそのまま捉えることができるし、それを絵画や彫刻、言葉のように形にすることもできる。

 

しかし、一旦取り入れたものは意外にそのまま保存してしまい、修正が効かないことも多い。

 

第一印象しかり、最初の認識、理解しかり。後から上書きをしても最初の理解がそのまま残っているなんてことは珍しくはない。

 

同じ言葉を何度も聞き続けていると自然に刷り込まれ、いつの間にか自分自身の言葉、考えだと思い込んでしまう。

 

それが良い言葉であっても、悪い考えであっても。 

 

だからこそ普段から使う言葉には注意を払いたい。

 

その言葉を一番多く聞くのは何より自分なのだから。

 

 

一人呑み

 

今夜は一人呑みを楽しんでいる。

 

真っ赤な街、広島にて。

 

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いやぁ、予想以上に美味しかった!

 

大満足。

 

明日もまた頑張ろう。

 

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皆様も機会があれば是非!

 

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ノーリスク・ハイリターン

 

先日から投資について書いている。

 

自分アップデート

身の丈にあった生活

羹に懲りて膾を吹く

 

「資産運用」の鉄則は、「ハイリスク・ハイリターン」「ローリスク・ローリターン」。

 

つまり、リスクが高ければ、儲かるチャンスも増えるけれど、損をする可能性も高くなる。逆に、リスクが低ければ、儲かるチャンスは少ないものの損をする可能性も低くなるという当たり前の世界。

 

「ローリスク・ハイリターン」という話はたいてい怪しく、ましては「ノーリスク・ハイリターン」となれば、振り込め詐欺を連想した方がいい。

 

ただ、それはあくまで「お金」についての話。

 

「投資」とは必ずしも「お金」「資産運用」だけに限った話ではない。

 

「自分アップデート」という今回の発端となっている「自分への投資」、例えば、様々な勉強、語学の習得、体力増強、それを形にする資格取得はもちろん、見聞を深めるための国内外の旅行もそれに当たる。

 

「自分への投資」にリスクはない。

 

あるのはリターンだけであり、それを極大化できるかどうかは自分次第なのだ。

 

リスクを心配することなく、リターンだけを期待できるという「自分への投資」はしない手はない。

 

そう。

 

しない手はないのだ。

 

 

 

羹に懲りて膾を吹く

 

先日来「自分アップデート」「身の丈にあった生活」と「自分への投資」について考えている。

 

「投資」という言葉を使うと自然にお金のことや資産運用について考えてしまうけれど、バブル経済が破綻をきたしてからもうすぐ30年になる。

 

羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)

 

熱い吸い物で口をやけどした者がなますのような冷たい料理にも吹いてしまう、つまり用心しなくていいものに恐怖心が拭えないために不必要なことをしてしまうこと。

 

バブル経済の破綻による後遺症を引きずっているせいか、その後の「失われた20年」で染み付いた恐怖心からなのか、日本人の資産運用のポートフォリオは世界の新7不思議の一つに数えられてもおかしくはないほど消極的だ。

 

最新の日本銀行が出している「家計の金融資産構成」(資金循環の日米欧比較 2017-08-18)によると、

 

日本人は金融資産のほぼ半分を現金預金で持っており、いわゆるリスク資産、投資に充てている額は15%に過ぎない。それに対し、アメリカ人は投資に50%、現金預金に15%弱とほぼ正反対となっており、投資に積極的なのが顕著だ。ユーロ圏はその間といったところか。

 

いずれにせよ、日本人の金融投資に対して臆病なほど消極的な姿勢が国際的にも浮き彫りになっている。

 

まさに「羹に懲りて膾を吹く」ではないか。

 

金融投資も突き詰めて考えれば、自分アップデートの一環と言える。

 

鱠(なます 酢を使った料理)は熱くない、

 

それを実体験させた上で少しずつ啓蒙していくしか方法はなさそうだ。

 

先週末にようやく21年ぶりに上がった日経平均株価への投資から始めてみるのが一番効く処方箋なのかもしれない。

 

 

身の丈にあった生活

 

自分アップデート」と題して昨日のブログで自分自身をアップグレードする必要性とその価値について考えた。

 

そのためには時間もお金もエネルギーもかかるのは当然だけれど、最近では自分を高めるための努力を「自己啓発系」「意識高い系」と呼んで、自分を低いところに置いて敬遠する傾向がある。

 

自分をアップデート、アップグレードするためには研究開発、そのために払わなければならない犠牲があるのは当たり前。

 

それでもその犠牲以上の見返りを期待できるからこそ頑張る価値がある。

 

それが自分に投資するということ。

 

もしかすると日本人は侘び寂びや先輩後輩、上下関係というような長年培ってきた文化の中で自分を必要以上に高めることに精神的障壁があるのかもしれない。

 

身の丈にあった生活

 

そこに甘んじることが最近の経済的停滞の真の原因なのかもと思い始めた。