逆転世界

 

不思議な感覚だった。

 

腕時計をしている部分が汗疹になり、時計を右手にはめてみた。

 

付けた瞬間は何ともなかったのに暫くすると、不思議な感覚に包まれる。

 

普通にPCを叩いて仕事をしているのに何かが変だと感じる。それが何か自分でもよくわからない。違和感の正体がわからない。

 

無視して仕事をしていてもやりにくい感覚が付き纏う。

 

次の瞬間それが何かがわかった。

 

左手で字を書く感覚なのだ。

 

PCで文字を打つのは両手。右手も左手もその役割は何ら変わらないのに腕時計を右手に付け替えただけで感覚が逆転してしまっている!

 

脳が騙されて、同じ作業にも拘らず普段とは異なる感覚に包まれる。言わば逆転世界を体験しているかのよう。

 

さすがに仕事に支障をきたすのは得策ではないので時計を外してみる。すると、一瞬で元の世界が出現する。

 

腕時計を反対の腕にはめるだけで別世界を体験できるのだ。まるでスーパーヒーロー!

 

さあ書いてこの愛ファンを普段の書き手と反対の手に持ち替えてフリック入力する。すると、時間はかかるは打ち間違いは酷いはで、打つ手がつりそうになる。

 

何かを新しく体験する時のしんどさが蘇ってくる。と同時にその先にある実りのサインも普段とは異なる頭の部位でチカチカしてきる。

 

逆転世界を楽しむためにも一切修正することなく、今回のブログは掲載させていただこう。

 

そして、他にも逆転世界を体験できる機会を探してみたくなった。

 

右と左、上と下、表と裏、黒と白、男と女・・・

 

国政さえも揺るがすセクハラ問題の解決の糸口もそこにあるのかもしれない。

 

優しい目をする

 

優しい目をしたい。

 

それを最近のテーマにしている。

 

新しい環境で新しい挑戦をしているせいか気がつくと眉間にシワを寄せて厳しい視線を宙に漂わせている。

 

一人でできることは限られていて、周りの人達の協力がなければ何もできないのに一人しゃかりきになって最も大切なものを見落としていた。

 

鋭い眼光や目力は要らない。

 

それよりも周りに安心感や親近感を与えられるような優しい視線、柔らかい眼差しを投げ掛けたい。

 

それも表面上のテクニカルなものではなく、心の底から滲み出るものでなくてはならない。愛に満ちたものでなくては意味はない。

 

喜怒哀楽を共有できるような、喜努愛楽で行けるような仲間に恵まれているからこそ、自分が変わることから始めよう。

 

優しい目をして。

 

喜努愛楽

 

中学3年生の息子のクラスの学級目標が「ぼくらの実家 〜喜努愛楽〜」に決まった。

 

みんなの理想のクラス像から具体的にどのようなことをすればいいのかというところに思いを巡らし、最終的に「覚えやすい」「言いやすい」「わかりやすい」で班ごとに学級目標の案を出してもらいました。

 

後半の「喜努愛楽」はこんな意味が込められている。

 

喜・・・どんな成功でもみんなで喜びあえるようにしよう

努・・・「喜」が達成されるためにみんなで努力をしよう

愛・・・誰からも(他クラスからも、他学年からも、他校からも)愛されるクラスになろう

楽・・・思いっきり楽しもう!! Just enjoy!

 

 

喜怒哀楽をもじったテーマは秀逸だと思っていたらなんと息子当人のアイデアと聞いて思わず「喜」んだ。

 

「怒」の代わりに「努力」の「努」を選ぶのは王道とは言いつつも中学3年生には納得の選択。改めて「怒」と「努」は「心」と「力」の違いということに少なからず驚かされた。努力には怒りの力も必要ということ。

 

哀しみを愛に換える。

 

これができれば人生の「上がり」と言っても過言ではない。その真実を中3生に背負わせるのは重過ぎるけれど、人生で学ぶべき課題を14、5歳で意識することは決して無駄にはならないはず。

 

多感な時代の喜怒哀楽はそれだけで人生の重みをずっしり感じて身動きさえ取れないと思うことがあるかもしれないけれど、一つひとつの経験とそこから湧き上がる感情はこれからの長い人生の財産になることは間違いない。

 

喜びも怒りも努力も哀しみも愛も楽しさもすべて背負っていけばいい。

 

ぼくらの実家を信じて。

 

鳩と鷹と雀と

 

鳩と鷹と雀が並んでいた。

 

日々の生活には至る所に隠されたサインがあって、それをどれだけ見つけられるか、繋げて意味を見出せるかで人生の価値が大きく異なってくる。

 

あの時あの人にあの場所で会ったのはこういう意味があったんだ、とか、あの出来事で妙に気になっていたのはここに繋がっていたんだ、と後から感じるのは頻度や程度は異なれど誰にでもある話。

 

振り返って感じることは誰にでもできるけれど、今起こっていることが未来のどこに繋がっているのか、どう繋げていくのかと考えるのは全く別の話。

 

それでも必ずヒントはあちらこちらに隠されている。

 

いや、見つけようと探しさえすればそれほど難しいものではない。

 

人生というロールプレイングゲームを楽しむ気持ちで今の自分のミッションに取り組めばいい。

 

自分の目の前にどんなヒントが転がっているか、どんなポーションがあって、どんな鍵が隠されているのか。

 

それを意識しながら生活することで日々の生活はもっと楽しくなるし、レベルアップもより早くできるようになる。

 

鳩と鷹と雀が舞う空を見上げながら生きていけばいい。

 

階段に近い場所

 

どの車両に乗ると改札口に降りる階段に近いか。

 

毎日の通勤なのに意識しているようでいないために何度も何度も同じミスをする。

 

階段に近い場所と言ってもたかだか数メートルでそこまで焦っているわけではないから気にも止めない。

 

というのは、自らへの言い訳に過ぎない。

 

ふと、同じことを仕事でもしているのではないかと思い当たる。

 

それほどの重要性を感じないために意識散漫で同じ小さなミスを毎日毎日繰り返している。

 

メールの未読既読、書類の整理処分、打合せの手順に会議の進行、コミュニケーションの取り方に至るまで一つひとつの作業や行為にはそれほどの時間もエネルギーもかからない故になおざりにしていることは山ほどある。

 

その山の頂に階段を使って真っ直ぐ登って崩すことができればなんて素敵だろう。

 

そんな階段を見つけるためにも毎日の通勤に便利で効率的な「階段に近い場所」を探したい。

 

 

洗濯機のない生活

 

2月に引っ越してから洗濯機のない生活をしていた。

 

おかげで久方ぶりのコインランドリー体験は新鮮だった。(宇宙の真理 - おもしろきこともなき世をおもしろく宇宙の真理)

 

週一のペースで異なる曜日、異なる時間で使ってみての感想は意外にも利用者が多いということ。しかも若い世代、女性も利用していたことに少なからず驚いた。

 

声を掛けて「どうしてコインランドリーを使っているんですか」とはさすがに聞けず、推察の域を越えないけれど、乾燥機が要因ではないかと仮説を立ててみる。

 

洗濯しても干す場所がなかったり、人目を気にしないといけなかったり、プロ仕様の乾燥機で仕上がりが気に入ってたりもあるのかな、と。

 

格差社会と言われる底辺層の利用かとも思ったけれど、洗濯に一回200円か300円、洗剤に50円、柔軟剤は更に50円がかかる。乾燥機に至っては10分100円と決して安くはない。洗濯機を買って家で洗った方が遥かに経済的だ。

 

かと言って、コインランドリーでしか洗えないような大きなタオルケットや毛布を洗っている人は見かけなかったし、コインランドリーならではの靴を洗う機械や隣が銭湯という理由も説得力はない。

 

社交場になっている雰囲気もゼロ。そこで洗濯や乾燥が終わるのを待っている人たちは一様に下を向いてスマホをいじっている。

 

洗濯機のない生活は謎のある生活ばかりを連想させる。

 

いっそのことコインランドリー利用のマーケット調査結果を調べてみよう。

 

発見!

http://www.b-desse.jp/report/2237/

 

すごい時代である。

 

 

冷蔵庫のない生活

 

2月に東京に引っ越して2ヶ月半の間冷蔵庫のない生活を送っていた。

 

それも昨日でやっと終わり、テレビとは違って正直ホッとした。(冷蔵庫なのに?)

 

それでも「冷蔵庫のない生活」を振り返るとそれはそれで捨てたものではなかった。

 

仕事にかまけてという言い訳をしながらも食事は外食中食ばかり。どうせなら、それを楽しもうと安くてリーズナブルなお店からちょっといいお店まで極力職場と自宅の近くのお店を色々と試してみた。

 

すると、お店や提供される料理やサービスの良し悪し、甲乙だけではなく、街の雰囲気や飲食店全体の傾向や特徴のようなものをなんとなく掴めることができた。

 

もちろんこれまでも外食はしていた方だし、住んでいた街の雰囲気やそこで暮らす人たちの色や匂いのようなものは感じていたつもりだったけれど、今回のように何かを一定期間集中して行うことでそれがより際立って感じられるようになったのは新鮮な驚き、気づきになった。

 

家に帰って冷えたビールが飲めるありがたさにも。

 

冷蔵庫のない生活のおかげで気づきのある生活ができた。