ミッションポッシブル2

 

今日は仕事は休み。

 

と言っても妻は仕事で家族は揃わず。それなら夏休み中の息子(中学2年)にミッション2に挑戦させることに。

 

前回は一人で姫路城に行き、誰よりも姫路城に詳しくなってくるというミッション。

 

今回は一日かけて自転車で三箇所を巡るという使命だ。

 

その三箇所はここ。(☆印左上から右上、右下の順で)

 

手塚治虫記念館

荒牧バラ公園

昆虫館

 

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ミッション開始は朝10時でタイムリミットは18時。8時間のうちにお昼を食べて3箇所を回り帰還すること。

 

帽子を目深にかぶり、水筒に氷と水を一杯に詰め、タオルに水を染みさせ、保冷剤を包んで肩からかけたバッグに入れる。自転車の空気圧を前後ろ確認してから意気揚々と出発した。

 

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途中道に迷ったり、困ったりしたら電話を入れるように言っておいた。途中掛かってきたのは一回だけで心配になってこちらから2度ほどかけると荒牧バラ公園の後、道に迷っていた。

 

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結果的に、昆虫館に辿り着いたのが16時20分で入館が16時までだったために入れず仕舞い。

 

ミッションはインコンプリートだった。

 

それでも昆陽池公園を探索して満喫してちょうど6時になるかならないかで帰ってきた。

 

朝出て行った時よりも少し黒くなって、その生き生きとした表情を見て、ほんの少し成長したような気がした。

 

明日レポートを4枚書くことになっている。

 

それがまた楽しみだ。 

 

 

 

 

私の周りにいる障がい者

 

私の周りにいる障がい者

 

私は障がいのある人について学習する前、障がい者は自分とは全く違う世界に住んでいる他人のことで自分には関係ないとずっと思っていました・・・

 

とは、小学5年生になる娘の作文の冒頭部分だ。

  

最初に行った車椅子体験では歩く速さや段差に気をつけながら介助することがよくできました。私たちが普通に通っているいつもの道路は・・・

 

と続く作文は、我が子ながらよく書けていて、このブログよりも上手。

 

内容はこう続く。

 

全く他人事だと思っていた障がい者の問題は、自分たちが住んでいるこの町の問題であり、自分自身の問題なのだと。

 

そして、気づきはもう一段階深まる。

 

いわゆる障がい者と呼ばれる人たちの障がいは、目に見えるもの、わかりやすいものかもしれないけれど、私たち一人ひとりも何らかの事情や問題を抱えていて、広い意味では全ての人が障がい者と言えるのではないか。障がい者の問題を自分事として取り組むことが大切なのではないか、と指摘する。

 

ちょうど別の人からも障がい者問題について聞く機会があり、その人によると、障がい者の問題は、一人ひとりの心の中にある差別意識や社会全体が規則や法律で規定するからこそ起こる問題であり、自分と障がい者は違うというところから発生しているのではないか。

 

自分の心をしっかりと覗き込み、自分の中にある差別意識を戒める大切さが求められている、と聞いて、改めて自分自身の胸に手を当ててみることになった。

 

私の周りにいる障がい者

 

実は自分自身が障がい者であると気づくことから全ては始まるのかもしれない。

  

大人の塗り絵の子ども版

 

「大人の塗り絵の子ども版はありませんか?」

 

本屋さんをうろうろしていると、ある親子連れが店員さんにそんな質問をしていた。

 

一瞬戸惑いの表情を浮かべた店員さんにお母さんは畳み掛けるように説明を加える。

 

「子ども向けの塗り絵は簡単過ぎて、かと言って、大人の塗り絵は少し対象が難しいみたいで。大人の塗り絵のもう少し簡単なバージョンはありませんか」

 

元々子どものための塗り絵を大人用に作ってみた出版社のアイデアに拍手を送りたいが、消費者は更にその先を進んでいる。

 

少し切り口は異なるが、小学生とその保護者の間で大ブームになっているのが、「うんこドリル」である。

 

うちも例外に漏れず5年生と6年生向けのうんこ漢字ドリルがあって、子どもが大騒ぎしながら取り組んでいる。

 

これらもアイデアが全てと言っていいほどの商品だ。

 

商売のためではなく、ボケ防止に、頭の体操に、遊びの一環として、そんなスマッシュヒットを放てるほどのアイデアを考えてみたい。

 

まずは色褪せた自分の頭の中を塗り替える必要があるかもしれないが(笑)。

 

 

相対と絶対の間

 

相対と絶対の間(はざま)に答えがあるような気がしてならない。

 

最近ずぅっと感じ続けているテーマがこれである。

 

と言っても、厳密に言うと、答えはその間にあるどこかではなく、一瞬一瞬でずれ動いていく。

 

というもの。

 

つまり、相対的に選ばれる瞬間があるべき、ということと、相対を全く無視し、主体的、絶対的な視点と決定が求められる時の両方があるということ。

 

これだけだとわかりづらいだろう。

 

もう少し具体的な例を挙げてみたい。

 

例えば、あなたがあるグループのリーダーであるとしよう。

 

グループが目指すべきものは、そのグループが作られる時点で目的や目標が存在し、その趣旨に賛同する人たちが集まっている。リーダーであるあなたはそのグループが作られた目的や目標を絶対的なゴールとして設定し、ぶれずゆれず、叱咤激励して進んでいくのが理想であり、王道である。

 

と同時に、時に人は理想だけでは生きていけず、弱音を吐くこともあれば、悪態をつくこともある。現実的な世界で生きていく中で感じるもの、目指すものは自然と移ろい変わっていく。一人ひとりが時間や状況の中で変わっていく中で「絶対的なゴール」だけを掲げ続けることがグループの成功に繋がるとは限らない。状況に応じて、一人ひとりの状況や意思を尊重する方がうまくいくことだってある。

 

それが相対的な対応。

 

絶対的な目標を貫く勇気と相対的な状況に応じる柔軟性

 

その両方を兼ね備え、時と場合によって使い分けることこそが最強のリーダーシップであり、生き方ではないか。

 

相対的なものと絶対的なものの間に答えはある

 

そんなことをずぅっと考え続けている。

 

それこそが答えであると信じて。

 

一度の違い

 

角度をつけろ、エッジを利かすんだ、他人と違うことをやれ・・・



他人との競争に勝つためには他人と同じことをしていてはダメ、その他大勢から抜け出すためには人一倍の努力をしなければならない、目の着けどころを変えろ・・・



現代社会は競争社会である。



企業に勤めていれば、規模や職種、国内外問わず苛烈な競争にさらされている。



その競争が「グローバル化」という響きの良い、かつ避けようのない未来として捉えられれれば捉えられるほど、冒頭のような叱咤激励が貫禄を増し、正統さを纏い、重厚さをを持つようになる。



それがプレッシャーとなり、壁となり、逆に人々の足取りと心を重くする。



職場のある人がこんなことを言っていた。



「受け取り方をほんのちょっと変えるだけでその後進んでいく道が大きく変わるんですよね」



続けて語る。



「物事の受け取り方がほんのちょっと違うだけで、例えば、頼まれた仕事の効率性が多少悪くとも一所懸命に取り組もうとする人と非効率さだけを見て、しなければならないと感じる人はその時点ではそれほど変わらなくても、数ヶ月、数年経ったら全然違う場所にいることになりますよね」



深いと思った。



冒頭の「角度をつけろ」ではないけれど、何かをしようとする時に他人と同じことをするのが平行(180度)だとすると、違うことをしようとすると90度のアイデアを考えようと苦労する。そうではなくて、ほんの1度だけ変えてみようとすればいい。179度で始めていけば、その線をずうっと伸ばしていけば、平行とは随分離れることになる。



0から1を生み出すのは至難の業だけれど、1を2にするのはそれほど難しいことではない。



模倣であろうと、組合せであろうと、アレンジであろうと、何だって構わない。



ほんのちょっと、一度の角度さえつければ、それでいい。



それを続けていくことでいつかは大きな差が開くのだから。

 

 

 

夏休みボケ

 


1週間の夏休みを終えて今日から仕事に復帰した。

その初日は自分でも呆れるほどボケていた。

電車に乗り間違うは間違った回数券を使うは落とし物はするはで散々な一日に。

幸い大きなことにはならなかったけれど、夏休みボケを戒めなければならないのは他の誰でもない自分だった。

 

これを機に自分を徹底的に客観視してみようと思う。

 

全ての思考は自分から出発するのが普通。

 

主体性を持つのもまずは自分から始めなければならない。

 

と同時に、知らず識らずのうちに自分には甘くなるのも人間の性。

 

時には徹底的に客観的になって、自分の思考、行動を評価してみたい。

 

冷水を浴びせられるかの如く一瞬で夏休みボケも覚めるのではないか。

  

生まれ変わるとしたら

 

「生まれ変わるとしたら何になりたい?」

 

ふとしたきっかけで昔からある子どもの質問を家族に投げかけると、

 

映画スターになりたい、サッカー選手になりたい、歌手になりたい、起業家になりたい・・・

 

という普通の回答ではなく、こんな答えが返ってきた。

 

雲になりたい 

太陽になりたい

雑草 になりたい  

風になりたい

 

人間以外も選択肢に入るのならこんな回答も「あり」かもしれないけれど、我が家ながらシュールな回答に思わず笑顔が溢れる。

 

改めて考えると、こういった回答も地球という環境があってこそ。

 

人であれ、動物であれ、無機物であれ、自然現象であれ、生まれ変わるためには環境がなければならない。

 

一般論ではなく、頭でわかっている常識ではなく、自分事として環境保護のためにできることを、小さなことでも確実にできるようになりたい。

 

生まれ変わる先のためにも

 

今の人生を生き切るためにも。