世界で一番高いタワーに登った!
てっぺんはこんなになっている。
それまで単なる高い建物だったものが、どんな風に建てられ、何を大切にし、何を成し遂げようとしていたのかを知ることによって想いが深まった。
と同時に、普段見ている景色の裏側や奥深い世界を知ることで自分もまた少しグレードアップした気分になれた気がした。
世界で一番高いタワーに登った!
てっぺんはこんなになっている。
それまで単なる高い建物だったものが、どんな風に建てられ、何を大切にし、何を成し遂げようとしていたのかを知ることによって想いが深まった。
と同時に、普段見ている景色の裏側や奥深い世界を知ることで自分もまた少しグレードアップした気分になれた気がした。
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
2019年が明けた。
平成最後の元日である。
2019年はどんな年になるか?
毎年年が明ける度に自らにそう問うてきたけれど、平成最後の年は少し質問を変えてみたい。
平成最後の年をどんな年にするか?
他人事ではなく、自分事にする。
昨日のブログでも書いたように、そうしたい、であり、そうする!
そのためにすること、意識することはこの7つ。
いろんなことが起こった昨年。
その一年間で随分と鍛えられた気がする。
何が起こっても驚きはしない。
自分の内側に集中し、時に全体を見渡し、目の前を全力で走って行くだけだ。
チームで。
平成最後の年は新しい元号の始めの年でもある。
こんな感じかな?!
ここ数年定点観測している日本経済新聞の社説を転載しておく。
不確実性にたじろがず改革進めよ
2019/1/1 2:00 朝刊
平成最後の元旦を迎えた。5月には新元号の時代が始まる。日本は平成の「停滞の30年」を脱してどう針路をとるべきだろうか。世界はめまぐるしい変化の渦中にある。米国をリーダーに世界の集団的な安全保障や自由貿易を守ってきた体制は大きく揺らいだ。
トランプ米大統領は、環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱し、地球温暖化を防ぐパリ協定に従わない姿勢を示した。世界貿易機関(WTO)の紛争解決の機能は瀕死(ひんし)の状態だ。
G20で国際協調を守れ
欧州連合(EU)は、英国が合意のないまま離脱するリスクに直面している。盟主のドイツはメルケル首相の政治的な影響力が弱まり、フランスのマクロン大統領も支持率低下に苦しんでいる。中東もサウジアラビア人ジャーナリストの殺害や、シリア紛争の泥沼化によって、不安定化が進む。
今後数十年の世界秩序のカギを握る米中関係は、ハイテク覇権を巡り先鋭的に対立している。米国では政府や議会、有識者に「中国は豊かになれば民主化する、という従来の対処法は誤りだった」という見方が広がっており、2月末を期限とする米中貿易交渉は打開の糸口がみえない。
こうした地政学リスクに日本は立ち向かわなくてはならない。6月に大阪で20カ国・地域(G20)首脳会議が開かれ、安倍晋三首相が議長を務める。自国第一主義に傾くトランプ大統領らに、自由貿易や国際協調の重要性を説き続ける必要がある。
安倍首相にとってはロシアと北方領土返還交渉を進め、北朝鮮に拉致問題の解決を求める年でもある。日米同盟を外交の基軸としつつ、中国との関係改善も重要だ。習近平国家主席の来日を実現し、米中の緊張緩和を側面支援するのも首相の役割である。
世界経済は2018年後半から緩やかな減速をみせる。11月に経済協力開発機構(OECD)が発表した今年の世界の経済成長率予測は、18年9月時点より0.2ポイント低い3.5%だった。08年のリーマン・ショックから続いた超金融緩和が潮目を迎え、米国の利上げが続く。前例のない規模で供給されたマネーが逆流し、株式や社債などの市場に動揺がみられる。
日本の景気は今月、戦後最長の74カ月の拡大を記録する。企業は好業績を謳歌し、停滞していた雇用者所得も増え始めた。10月には消費税率が10%に引き上げられるが、19年度予算で手厚すぎるほどの対策を講じており、消費腰折れのリスクは小さい。
日本企業が抱える課題は、時代を変えるようなイノベーションを主導できていないことにある。グローバル化とデジタル化という二大潮流に乗れなかったことが一因だ。中国の国内総生産は日本の2倍以上に増えており、この潮流の恩恵を最大限活用してきた。
コストダウンだけで利益を確保する「縮小均衡」の経営を脱する必要がある。18年は生産現場に起因する不祥事が相次いだが、海外と国内の開発・生産体制のバランスをもう一度点検すべきだ。イノベーションは従来の技術の延長線上には生まれにくい。たこつぼ型や年次重視の組織を見直さないとデジタル化の波に乗ることはできないだろう。
中間層の安定を生かせ
幸い日本企業の内部留保は潤沢だ。超高齢化社会で必要とされる医療・介護の技術や、環境技術など世界に貢献できる分野は多々ある。人手不足は生産性向上のチャンスともいえる。電気自動車の欠点を埋める次世代蓄電池の開発などでも世界をリードしてほしい。
日本には他の先進国にない強みがあることを忘れてはならない。中間層が分厚く、米欧でみられるような世論の分断がさほどでもないことだ。日本の社会的、政治的な安定は突出した存在だ。
9割を超える就職内定率が象徴する雇用の安定が下支えする。企業の新陳代謝や労働市場の流動性を高めつつ、分配政策などを活用し、この安定はできるだけ維持すべきだ。資本主義や民主主義の疲弊が海外で目立つが、日本はこのふたつの価値を守り、米中などに働きかける責任がある。それが国際協調の復権をもたらし、日本の活路をひらくことにつながる。
さまざまなリスクを抱え、今年は変化がどう起こるのかが読みにくい、不確実性をはらむ年だ。
だが、たじろいではいけない。平成の次の時代を豊かなものにするために、20年の東京五輪・パラリンピックを越えて日本の復権を実現するために、政府も企業も改革に全力を尽くす年にしたい。
漢検が主催する今年の世相を表す漢字は、
災
が選ばれた。
https://www.kanken.or.jp/kanji2018/common/data/release_kanji2018.pdf
自分が選ぶ漢字一字は、
超
にしたい。
2月に東京に引っ越してから新しい環境で、
超絶忙しかったし、期待を超えようと必死だったし、自分を超えたという瞬間も確かにあった。
昨年選んだ漢字も「越」。
それまで数年間かけてもがいてきたことをようやく越えられた、そんな峠を越えた感覚があったから。
その最後の日にこんなことを書いている。
昨年(2016)の今日何を書いたかを確認してみた。
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来年は「充」(十=10)を超えて、12や15、20を目指していきたい。
自分を超えていく!
まだ見ぬ自分を創っていこう。
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まさにその通りになったと感じられて、自分でも少し誇らしい。
来年は自分を更に超えて、羽ばたいていける年にしたい。
脇目も振らず前進していくだけだ。
今年一年は新しい土地で新しい環境で新しい人たちと新しい仕事で新しい挑戦に挑んだ年となった。
脇目も振らず、峠を越えて、ただただ全力疾走してきた一年。
もしかしたら来年に向けて、跳躍する、飛翔するための助走にスピードを上げ続けているのかもしれない。
新しい年は、自分を超え、新しい自分を更に越えて、飛翔する、
そんな一年にしたい。
しよう。
する!
過去10年に選んだ漢字は以下の通り。
越 2017
充 2016
惑 2015
廻 2014
乱 2013
序 2012
信 2011
耐 2010
破 2009
挑 2008
今年も1年間、拙いブログをお読みいただいた皆様、誠にありがとうございました。
昨日の東京散策では上野にある美術館で開催されているムンク展に行ってきた。
同じタイミングで開かれているルーベンス、フェルメール展も良かったけれど、どれか一つを選ぶとするならば、圧倒的に、ダントツにムンク展が良かった。
その理由を考えてみると、幾つか浮かび上がってくる。
1.彼ほど苦しみや悲しみに向き合う芸術家がいたであろうか
代表作「叫び」はもとより、5歳の頃に母を亡くし、14歳の頃に愛する唯一の姉を亡くし、成人してからも父を亡くし、常に死の影や別れの苦しみに苛まれ、そこから逃げずに向き合い、それを表現しようとした芸術家が他にいただろうか。
2.彼ほどプロの画家としての意識を高く持った、覚悟を決めていた画家がいたであろうか
死や別れという生きている限り避けられない出来事から目を逸らさず、その苦しみを絵という形に表現しようとする執念。情愛や性、嫉妬と言った人間らしさとその裏側の感情でさえからも逃げることなく表現しようとする覚悟。それらをマドンナ、接吻、吸血鬼といったわかりやすく、また論争を巻き起こすテーマに集約して集中して形にする力。それ以外にもテーマを決めて、連作し、個展で結び合う、共鳴し合う作品の並びを考えるプロフェッショナリズム。そして、アルコール中毒や目の病気を患っても、抽象画に走らずあくまで自分の目を信じ、見たものを描き続ける覚悟はすごいと思った。そんな女性との関係も清算し、芸術家たり続けるために最愛の人と別れ、一生独身を貫く決意もただただ凄い。
3.様々人生経験を経て、辿り着いたのが「祖国」であり、「自然」であり、「生きる」ということ
自画像がとにかく多いアーティストだが、あらゆることを経験し、最後に辿り着いたのは祖国であり、自然であり、生きるということであり、明るい色たちであった。
特に印象に残っているのは、黄色い丸太が森の中で描かれている一枚と威勢のいい馬がキャンバス中央でこちら側に向かって走ってくるもの。そして、太陽の光をキャンバスいっぱいに表していると言えるような神々しい作品。
彼が残したスクラッチブックやノートに残されている言葉もまたストレートに心に刺さった。
自然とは、目に見える物ばかりではない。
ー 瞳の奥に映し出されるイメージ
ー魂の内なるイメージでもあるのだ
我々は誕生のときに、すでに死を体験している
これから我々を待ち受けているものは、
人生のなかで最も奇妙な体験、
すなわち死と呼ばれる、真の誕生である
ー一体、何に生まれるというのか?
絵画を説明することは不可能である。他に説明する術がないからこそその絵が描かれたのだ。心を打ち明ける必要に迫られてどうしても出来上がってくるような芸術でなければ私は信じない。文学も音楽も全ての芸術は人の生き血によって製作されなければならない。芸術とは生きた人間の血なのだ。
喪失の悲しみや苦しみ、永遠に続くとさえ思われる不安を経て、生きることを選び、表現することを職業として選んだ一人の芸術家の「叫び」を時空を超えて聞いた気がした。
街を歩いていると、いろんな表情の人たちがいる。
無表情の人が多いのは普通だけれど、眉間に皺を寄せている人もいれば、目を細めている人もいる。
疲れ切った人もいれば、今から恋人に会うのかなというような嬉しそうな表情を浮かべている人もいる。
少し怒っているような人がいれば、悩みを抱えているだろうなという人もいる。
自分という存在が絶対的で、
他者の存在や在り方なんて気にする余裕なんてないと思ってきたけれど、改めて今いる場所や状況、環境を省みると、これまで見えなかった物事や景色が見えるようになる。
すれ違う人たちをよく観るだけで新しい世界を感じることができた。(変な人と思われないようには気をつけなければならない(^ ^)