Day by day

 

ある日突然全てが終わることがある。

 

文字通り全てが。

 

"Day by day"

 

シルベスター・スタローン扮するランボーがシリーズ2作目の最後にかつての上官からこれからどう生きていくのかを尋ねられた時に返す言葉だ。

 

「一日ずつ」

 

それは「一日ずつ精一杯生きていく」ということ。

 

たとえ今日で愛する人に会えなくなったとしても、

 

ある日突然全てが終わったとしても、

 

後悔しないように、

 

日々を生き切る。

 

「日々是好日」

 

であるように。

 

Day by day

 

で生きていこう。

 

生きていく。

  

躍動する

 
全仏オープン錦織圭が躍動している。

震えるほどに。

4回戦のベルダスコを相手に痺れるほどの逆転勝利を収めた。

第1セットをストレートで落とした後、全く別人かと感じられるほど第3セット、第4セットは躍動していた。試合を制圧した。

「ボールが止まって見えるんじゃないですか?」

アナウンサーがそう言うほど彼の身体は切れていたし、目にも留まらぬほどの速さだった。

 

彼の自己調整能力、劣勢を跳ねのける力に感服した。

 

娘のテニススクールでの全仏オープン優勝予想はジョコビッチと娘は書いたけれど、自信と輝きを取り戻した錦織圭選手を見て想いを一新する。

「ベルダスコをしても止められないですね」


アナウンサーにそう言わせしめた次の相手は世界ランク1位のアンディ・マレーだ。

 

世界一のリターナーとの勝負が今から楽しみでならない。

 

 

戦略的無視

 

意図的に、戦略的に、無視を使う国がある、人がいる。

 

無視されるのは国も人もいい気はしないけれど、挑発に乗っては相手の思う壺。

 

無視には無視で返すのか、無視された事実を無視して前に進むのか。

 

戦略的無視には戦略的良心や戦略的誠意で迎え撃てばいい。

 

5年に一度のイベント

 

今日は家族で「長寿蔵」に行ってきた。

 

兵庫県伊丹市にあるビアホール(ブルワリーレストラン)でこれが3回目か4回目の訪問になる。前回来たのは免許更新時ですぐ近くにある免許更新センターで手続きした後家族で立ち寄った。

 

今回は妻が免許更新だったので終わる頃に合流してみんなで美味しいひと時を楽しんだ。

 

JR伊丹駅を降りるとすぐ西側に有岡城跡がある。

 

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おしゃれなお店に囲まれた雰囲気の良い道を西側に歩いていくと5分ほどで古い建物が目に入る。

 

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そこにお店がある。

 

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5年に一度のイベントと考えると悪い習慣ではない。

 

(雰囲気の良い道の両側にはたくさん魅力的で美味しそうなお店が並んでいるから次は別のお店にチャレンジしてみてもいいかもしれない)

 

 

ずぶ濡れを楽しむ

 
電車に乗った。

 

次の駅に着いて初めて自分が乗り間違えたことに気がついた。

 

新快速(特急)に乗るつもりだったのに各駅停車の普通に乗ってしまう自分の間抜けさを呪っていると、次第に心の中に暗雲が垂れ込めてくる・・・

 

「な、何なんだ、この嫌な気分は?」



そう言えば、一昨日の夜もスペインバルから出ると急な土砂降りに見舞われた。



傘を持っていず、スーツ姿でずぶ濡れになった。

 


その時は不思議と嫌な気分にはならなかったことを思い出す。


「濡れる時は濡れる」


仲間にそう言って大雨の中を堂々とゆったりと歩き続けた。

「なんか気持ちいい」(単なる酔っ払い?)

 

視点を切り替えてみる。

乗り間違えた普通列車の旅を楽しめばいい。

ずぶ濡れになるアトラクションを楽しんでると思えばいい。


あっという間に雲は去り、青空が広がった。

 

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数を熟す

 

「数を熟す」は「かずをこなす」と読む。

 

効率を求めたり、質の高さを追いかけるのは悪いことではない。むしろ、追求するからこそ工夫が生まれ、努力が継続され、今日より明日が良くなるというもの。

 

しかし、初めから効率や質を求めようとすると逆に非効率に陥りやすいことも覚えておきたい。

 

というのも、ある程度の量や経験抜きでは、そもそも何が効率であり、ゴールかわかりにくいから。情報量が少ないことで陥る罠と言っていいかもしれない。

 

まずは「数をこなす」ことだけを考えよう。

 

目の前に表れることに集中する。

 

一つひとつを丁寧に、かつ素早く片付けていく。

 

数を熟す

 

そうすることで初めて人生の熟練した達人になれるのだから。

 

 

 

 

一言の重み

 

昨日の月一企画を挟んで一昨日から3日間は一言ずつのブログを書いた。

 

妥協するな (2017-05-28)

諦めるな  (2017-05-29)

やり抜け  (2017-05-30)

 

言いたいこと、伝えたいことがたくさんあればあるほど、多弁になり、言葉を重ねたくなる。

 

しかし、効果は反比例になることもある、と、覚えておきたい。

 

たくさんのボールを投げれば投げるほど溢れるボールは多くなる。受け取りは次第に悪くなり、受け手だけの退屈さにやがてそっぽを向くようになる。

 

逆に短い言葉、一言をズバッ!と伝えることで心に刺さることがある。

 

そこから自ら考え、自分事として行動するようになる。

 

一言の重みをずっしり受け止めてもらえるような言葉を発せられるようになりたい。