自分が引き寄せたと

 

ある日突然巨大な隕石が落ちた。

 

その影響の渦に巻き込まれたと思っていたのに、

 

ふと感じたのは、

 

「自分が引き寄せたのではないか」

 

という想い。

 

改めて考えたら全ては自分が望んでいたことだったのではないか、と。

 

前にいた環境ではやりたくてもやれなかったこと、取り組んでも到底成し遂げられなかったこと、夢にも思わなかったことが手の届くところに出現した。

 

と言っても、自動的に与えられるわけではない。

 

並大抵の努力では足りないし、

 

一人の力では限界はたかが知れている。

 

巨大な何かが動いたのには理由があるはず。

 

それが偶然や誰か他の人の欲望や意図ではなく、

 

自分が引き寄せたと、

 

不遜にもそう信じて、

 

自分の物語と他人の物語を幾重にも重ねて壮大な叙事詩を書いていきたい。

 

描いていく。

 

 

他人の物語

 

この人生は自分の物語。

 

脚本も演出も主演も自分。

 

以前にそんなことをブログに書いた。(自分の物語 - おもしろきこともなき世をおもしろく自分の物語)

 

主人公を魅力的に描くのはもちろん、面白い物語に欠かせないのはライバルであり、脇を固める助演者たちだ。

 

登場人物のキャラを濃く、具体的に描けば描くほど、物語は面白くなる。

 

強さも弱さも勇敢さも卑怯さも併せ持つのが人間であり、矛盾を抱えながら、葛藤しながら生きる姿に人は共感を覚える。

 

それにキャラの強い登場人物であればあるほど物語にスパイスとキック(思わぬ展開)を与えられる。

 

自分の人生、実際の人生も同じではないか。

 

ふとそんな思いが舞い降りてきた。

 

キャラの強い人たちを避けようとしていないか?  排除しようとしていないか? 

 

その人たちに活躍の場を与えれば与えるほど、物語は幅が広がっていく、深くなっていく。

 

豊かになっていく。

 

自分の人生という物語も。

 

他人の物語も。

 

10秒の愛

 

引越し後の片付けをしているとこんな言葉が書かれたプリントを見つけた。

 

10秒の愛

 

仲島正教

 

子どもって、忙しいときに限って、寄ってきます。

子どもって、なかなか さっさとできません。

子どもって、なかなか はっきりと言えません。

でも、

たった10秒でいいのです。

  まず子どもを抱きしめてあげてください。

たった10秒でいいのです。

  「早く!」って言う前に待ってあげてください?

たった10秒でいいのです。

  せかさずに、じっと聞いてあげてください。

すると、

  そこに「笑顔」が生まれます。

     そこに「つながり」が生まれます。

 

たかが10秒、されど10秒

  「10秒の愛」は子どもを幸せにするのです。

 

プリントに書かれてある紹介によると仲島氏は西宮市在住の教育サポーターとのこと。

 

忙しさに追われて10秒の余裕を持つことをすっかり忘れてしまっていた。

 

子どもたちにとって10秒は決して短い時間ではない。

 

その10秒が愛に満ちた時間であれば、それは永遠にも感じられさえする。

 

片付け自体よりもこの言葉を見つけるために今日という日があったのかもしれない。

 

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聞こえない騒音

 

前の家に住み始めた当初は飛行機の音が気になった。

 

時折聞こえてくる自衛隊のヘリコプター演習が騒音にしか感じられなくて往生した。

 

東京の新居も電車の音がうるさい。

 

と言っても、窓を閉めたら気にならないと思っていたら他の音がしない時には結構耳につくことがわかった。

 

仕事が立て込んでストレスが溜まってくると普段感じないことにも敏感になって耐えられないのではとさえ感じらるようになる。

 

他方で慣れも驚くほど早く体内に浸透して行く。

 

あれほど気になった飛行機やヘリコプターの音が聞こえなくなったし、東京の新居もあっという間に電車の音は気にならなくなった。

 

聞こえない騒音

 

人は結局自分の聞きたいことしか聞かなくなるし、見たいものしか見なくなる。

 

その切口に耳を澄ませて、日々の生活の質を上げていくと同時に、

 

自分の信じたいものが本当に自分の信じたいものなのかは問い続けなければならないと感じた。

 

因数分解に挑む

 

昨日のブログでこんなことを書いた。

 

山ほどある課題を一つずつ分解し、原因の仮説検証を繰り返して特定する。ゴールを設定し、そこに辿り着くための実施計画を立てて実行に移す。

 

山ほどある課題を細かく分けたり、巨大な組織を小さく分割したり、雲のようにつかみどころのないものを分けて分析する。

 

まるで因数分解だ。

 

と同時にそれが一瞬でできない自分にもどかしさを感じ、中学、高校時代の数学を勉強する意味を痛感した。

 

もっと数学の勉強をしておくんだったという思いは当然立つけれど、今からでも遅くはない、やらないよりやった方がいいという想いも心の中に広がる。

 

仕事をゴリゴリやることで因数分解が早く解けるようになると信じて目の前の問題に取り掛かろう。

 

ギュッと集中して。

 

 

時間がないのではなく

 

ついつい漏らしてしまう「時間がない」だけれど、

 

時間がないのではない。集中力がないのだ。

 

とは、中谷彰宏氏の言葉だったか。

 

山ほどある課題を一つずつ分解し、原因の仮説検証を繰り返して特定する。ゴールを設定し、そこに辿り着くための実施計画を立てて実行に移す。

 

それを一瞬でほぼ同時にやってのける人がいる。

 

時間がないのではない。集中力がないのだ。

 

その言葉を胸に自らの足りない集中力を高める方法を集中して考えてみたい。

 

時間がないのでは決してないのだから。

 

 

史上最大の作戦 ー当日 荷入れー

 

昨夜は新居で過ごす家族最初の夜となった。

 

何だかんだで午前様になり、朝は興奮のためか、緊張のためか、はたまた習慣のなせる技なのか7時前には目覚めて荷入れの準備をスタートさせた。

 

予定の9時前には引越し業者さんが到着し、昨日とはまた違う総勢10名のチームが役割分担を明確にして作業に取り掛かかった。

 

感じの良さと手際の良さとチームワークの良さとは全く別次元でテーブルやら冷蔵庫やらエアコンやらでトラブルが次々に発生し、気持ち的にはジェットコースターに乗っているかのような1日になった。

 

花粉症もなかなかの仕事ぶりを発揮している。

 

「引越し後は当分の間箱に囲まれての生活になる」は定説だけれど、今回もまた定説がより真実に近づいたようだ。

 

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明日は朝から子どもの学校に付き合ってから仕事に復帰する。

 

強行軍もあと僅かだ。

 

気を引き締めて行軍を続けよう。