いざに備える

 

交番の前に立っている警官の横を通り過ぎてふと思った。

 

いざとなった時に力を発揮する仕事はたいへんだと。

 

「いざ」がどんな時なのか、どの程度の頻度で起こるのか、起こるかどうかさえわからない「いざ」という瞬間に備えるのは並大抵の覚悟がなければならない。

 

そう感じた。

 

骨を折って何かをするのはたいへんだけれど、何らかの見返りは期待するのが普通だし、功利的な側面が人間にあることは否定しても嘆いてみたところで何ら変わらない。

 

「いざ」という起こるか起こらないことに備えるのは利が薄い(と私が思うだけかもしれないけれど)ゆえにそこに時間と力を入れられる人は偉いと思った。

 

もちろん「いざ」にきちんと対応することができればそれこそ大きな成果となり、普段では考えられないような報いがあることで功利主義はここでも機能しているのだろうけれど、時間軸の目盛りの大きさに次元の違いを感じざるを得ない。

 

来るか来ないかわからない「いざに備える」

価値とコストを考えてみたい。

 

伏兵に気をつける

 

愚痴や悪口や自慢話には気をつけていても余裕がなくなってくるとついちょっとした自己アピールや冗談の形をした不満が口から漏れてしまいがち。

 

寝てないアピールや頑張っているアピールはみっともない。

 

誰か他の人がしていたら敏感に感じ取るのに自分から無意識のうちに発せられるそんな言葉や行動は慎みたい。

 

戒めたい。 

 

伏兵に気をつけよう。

 

 

闇弱に安住

 

「闇弱」は、「あんじゃく」と読む。

 

友人からか、ネットからなのか、中学3年生の息子から尋ねられ、調べてみた。

 

https://kotobank.jp/word/暗弱・闇弱-200474

 

闇弱、暗弱・・・愚かで劣っていること

 

持って生まれた体質や何らかの障害があるなら止むを得ないこともあるだろう。

 

しかし、物事を知らない、わからない、調べない、調べられないことで他人よりも劣っているのであれば、意思を持ってそこから脱することはできるはず。

 

暗闇の中に居続ければ弱くなるのは必然。

 

情報、知識、知見を吸収して、光を放とう。

 

闇を切り裂く光、剣を手に入れよう。

 

闇弱から脱出するためにも。

 

一隅を照らすためにも。

 

闇弱に安住していてはならない。