どれほど打ちのめされても、叩きのめされても、踏みにじられても、
へこたれない。
負けは認めない。
いや、その時点での負けは認めても、その時は一旦撤退したとしても、また次で挽回すればいい。
誰が来ても、何が起こっても、外から来るものはあくまで外部のもの。
自分自身があきらめない、へこたれない、そう決めたならあとは貫けばいいだけの話。
まだまだやれる! もっともっと行ける!
へこたれない!
どれほど打ちのめされても、叩きのめされても、踏みにじられても、
へこたれない。
負けは認めない。
いや、その時点での負けは認めても、その時は一旦撤退したとしても、また次で挽回すればいい。
誰が来ても、何が起こっても、外から来るものはあくまで外部のもの。
自分自身があきらめない、へこたれない、そう決めたならあとは貫けばいいだけの話。
まだまだやれる! もっともっと行ける!
へこたれない!
気がつくと視線が下がっていることがある。
スピード重視と思っていても押し寄せてくる山ほどの仕事と課題と問題をかわし、投げ返し、切り捨てているうちに息切れし、肩で息をするようになると姿勢が前倒しになり、斜め下を見るようになる。
のしかかってくるプレッシャーと周りからの期待とシラけた空気に行き場のない閉塞感に苛まれる。
自然とうなだれ、地面を見るようになる。
足元にしか視線が集まらなくなる。
そんな時こそ「目線を上げる」ことが大事。
いつもの巡行モードに戻そうとするのではなく、その上を目指す。
目線を上げて、上を向いて、
笑顔になって、
ゆっくりと歩き出せばいい。
小学6年生の娘の作文である。
私の選ぶのはこれ。
迷いなく。
歩きながら音楽を聴くのをやめてみる。
電車に乗ってもスマホも本も開かない。
ぼーっとしてみる。
耳に入ってくる音、目に飛び込んでくる風景、考えなければならない案件・・・
それらすべてをしなければならないこととして、感じ、考え、形にすることはできなくはない。
現実的にしていることの範疇には入っているし、やらなければならないことであることも十分にわかっている。
それも含めて「ぼーっとする」の範疇外として、締め出してみる。
それででいいし、実際に試してみる。
何かを探すのではなく、ありのまま感じてみる。
ちこちゃんの「ぼーっと生きてるんじゃねーよ」をガン無視して、ぼーっと生きてみる。
ぼーっと感じることで、感じるものがある。
見つかるものがある。
動きたいと感じるものがある。
ぼーっとすることで、得られることもある。
ぼーっとしてみたいと、
積極的に思った。