一日一生

「一日一生」という言葉をある人から贈られた。



あれから随分時が経つ。



初めて聞いた時は「そんなものかなぁ」という程度だったけれど、言葉はしっかりと心の中に残り、最近になってようやく実感と結びつくようになった。



すると不思議なことに、その言葉に再び外の世界で出合うことが多くなってきた。



一日一生 (朝日新書)

一日一生 (朝日新書)



使う!「論語」

使う!「論語」



一日一生

一日一生




「・・・静かな世界が終ると、朝になり、また動きの世界が始まる。動と静っていうのは背中合わせ。動があるから、静があり、静があるから、動がある。人生で置き換えるなら、『動』というのは生きること。『静』というのは死の世界。生まれるから死んで、死ぬからまた生まれる。・・・一日が一生、だな。今日失敗したからって、へなへなすることはない、落ち込むこともない、明日はまた新しい人生が生まれてくるじゃない。それには、今日を大切にしなかったら、明日はありませんよっていうことでもある。今が一番大切だってことだよ。今自分がやっていることを一生懸命、忠実にやることが一番いいんじゃないのかな。」(前褐「一日一生」酒井雄哉 P11,12)



「一日一生なんです。今日一日に全力を尽くす。朝、新しい一日が生まれて、夜、死んでいく。一日一生の決心で生き抜くことです。」(前褐「使う!論語」P37)



「一日は貴い一生である。これを空費してはならない。」(前褐「一日一生」内村鑑三 序文)



今日という日をしっかり生き抜くために、設計図を作り、テーマを決め、一瞬一瞬を楽しみながら過ごしていこうではないか。



2011年9月2日という日は二度とないのだから。