誰かを羨ましいとか、疎ましいと感じるようになったらそれは「余裕の証拠」。
自分のいる場所やすることに必死であれば、そんなことに構っている暇はない。
我武者羅に前だけ見つめて全力で走っていたなら周りがどんな状況かなんてわからない。
他の誰かが暇そうにしているとか、時間通りに帰っているとか、有休を取り放題だとかは自分に余裕がなければ気づかない。
それに気づけるということは心に余裕があるということ。
他の誰かの様子を伺う時間があるということ。
誰か他の人の状況について何か感じるようになったら、不満を撒き散らしたり、糾弾したりする前にまずは自分の在り方、目指すものを冷静に見つめ直したい。
なぜならそれは自分の中に余裕ができている証拠なのだから。