六文字熟語題

 

この3日間のブログのタイトルを並べてみた。

 

侵略的外来種

構造的転換期

帰還不能地点

  

漢字六文字が綺麗に並んでいる。

 

中国語みたい。

 

ただそれだけ。

 

ということで、今日のタイトルも六文字で表してみた。

 

六文字熟語

 

あ、一字足りない。

 

「題」を足してみよう。

 

ちょっと強引過ぎたかな(笑)。

 

ま、いいか。

 

 

帰還不能地点

 

「我々はもう引き返せない地点を通り過ぎたのだ。」

 

昨日のブログをそう締め括った。(構造的転換期)

 

Point of No Return(帰還不能地点)

 

元々は飛行機が燃料が足りず元に戻れなくなる地点のこと。そこから転じて後戻りできなくなる点や状態を言う。

 

進化は一定の方向しか向いていない。

 

それは時間が不可逆的なのと同じで一旦進化したもの、発展したもの、より便利な生活を一度経験してしまうと元には戻れない。

 

働き方や生き方も人類が長い歴史の中で積み上げてきた努力や犠牲を考えれば同じこと。

 

Point of No Return(帰還不能地点)とは、これ以上進んだら後には引き返せないポイント。

 

宇宙戦艦ヤマトを思い出す。

 

人類を救うため宇宙という大海原に航海に出ている乗組員たち。そこから先へ進むと戻れないことを知りつつもまだ見ぬイスカンダルに一縷の望みをかけた気持ちは十二分に想像できる。

 

大義のためなら行けるところまで行けばいい。

 

ポイントオブノーリターン(帰還不能地点)など一切気にすることなく。

 

構造的転換期

 

社会全体、いや、歴史的、文化的とも言っていい大きな構造転換期に差し掛かっているのかもしれない。

 

他でもない日本人の働き方や働くことに対しての考え方がである。

 

日本人の真面目さや働き過ぎは昔から世界中で称賛されるとともに問題視されてきた。

 

働きアリと揶揄される中、世界中にはびこるキリギリスを尻目に貪欲に強引に働き続けてきた。

 

その基盤となっていた個人よりも組織や全体を優先する和の精神とその構造が変わり始めている。

 

これまで多くの日本人にとって働くことは当たり前であり、美徳であった。

 

個人や個人の延長と言える家族を犠牲にしても組織や全体のために働くことは当たり前であり、社会的にも文化的にも歴史的にも民衆が労働することを求められ、それを乱そうとする力は非難され、排除されてきた。(芸能界では未だその傾向が強く残っているのは最近のプロダクション問題でご存知の通り)

 

そんな日本人の精神構造が急激に変化しつつある。そんな風に強く感じる今日この頃である。

 

政府の「働き方改革」や「プレミアムフライデー」がその原動力・・・

 

というわけはない。

 

これもまた世界的な歴史的に進行しつつある革命の影響に他ならない。

 

そう。産業革命の次の情報革命という大河の流れのせい。IT、ICTの進化とグローバリゼーションによって働き方もまた世界的な潮流となり、大海に流れ込もうとしている。

 

労働についての考え方や生き方自体までが世界全体で均一化される方向に向かっていると言っていい。

 

均一化は透明性を担保し、その結果、公平性を高めるであろうし、人類が長年求めてきた労働からの解放、社会的な自由、個人の自己実現への集中への道を切り開くことになる(可能性が高まる)。

 

但し、そこに

 

失われるものがあることも我々は忘れてはならない。

 

我々はもう引き返せない地点を通り過ぎたのだ。

 

 

侵略的外来種

 

亜爾然丁

 

一見中国語かと思う言葉は「アルゼンチンアリ」の漢字表記。

 

知り合いが広島市内のアパートを探しているとき、物件紹介の特記事項で見つけた記載である。

 

軽く考えていたところなぜか気になって調べてみるとたいへんなことが判明!

 

アルゼンチンアリ亜爾然丁蟻) Linepithema humileハチ目アリ科カタアリ亜科アルゼンチンアリ属に分類されるアリの一種。その性質から駆除や根絶が容易ではなく、果樹を食害し、人間を含む他生物の巣に侵入してきてその住人を襲い、そこから追い出し時には絶滅に追いやる、その結果間接的に生態系を破壊するなど、このうえもなく厄介なことで世界的に有名である。世界の侵略的外来種ワースト100(IUCN, 2000) 選定種であり、日本の侵略的外来種ワースト100選定種でもあり、特定外来生物にも指定されている。

 

南アメリカアルゼンチン北部、ウルグアイパラグアイブラジル南部)が原産地とされるが、現在アメリカ合衆国内ではフロリダ半島を中心とする合衆国本土南東部とカリフォルニア州を中心とする地域、オセアニアにおいてはニュージーランドイースター島オーストラリアハワイなどほぼ全域で、その他ヨーロッパ南アフリカで生息が確認されている。

アジアでは記録がなかったが、1993年に日本の広島県廿日市市で初めて採集され、広島市大竹市呉市府中町山口県岩国市といった周辺地域での定着も確認された。その後兵庫県神戸市ポートアイランド愛知県田原市豊橋市[1]岐阜県各務原市神奈川県横浜市京都府京都市伏見区[2]でも生息が確認され、現在11都府県で繁殖が拡大している。

 

アルゼンチンアリ - Wikipedia

 

なんとも恐ろしい。

 

人間を含む他生物の巣に侵入してきてその住人を襲い、そこから追い出し時には絶滅に追いやる、その結果間接的に生態系を破壊するなど、このうえもなく厄介なことで世界的に有名である。」というくだりを読んで、これほど恐ろしい生き物が他にもいること、それが「侵略的外来種ワースト100」として世界的にも指定されていることを知り、好奇心が刺激された。

 

他にどんな侵略的外来種がいるのだろう???

 

すると・・・

 

いかにも恐ろしげな生き物がいる一方で、

 

イエネコ(普通の猫)、オコジョ、クマネズミ(普通のねずみ)、ヤギ、ウシガエル、コイ、イエシロアリ(白蟻)、イタドリ(植物)・・・ 

世界の侵略的外来種ワースト100 - Wikipedia

 

どこにでもいる生物も少なくない。

 

ふと思う。

 

侵略的外来種のワースト1は人間なのではないか

 

と。

 

周波数を合わせる

 

目と耳をちゃんと開けていても我々は驚くほど見えていないし、聞こえていない。

 

目と耳をちゃんと開けていても我々は驚くほど見ていないし、聞いていない。

 

自然に目に入ってくるもの、耳に届くものはたくさんあっても我々の脳はそれら全てを認識するわけではない。

 

むしろ認識しないからこそ脳はエンストを起こさずに済んでいる。

 

脳は目や耳から入ってくる全ての情報をそのままプロセスしているのではなく、取り入れるべき情報のみを選択して処理=認識している。

 

雑踏の中で見つけたい人を見つけられるのも騒音の響き渡る中でも聞きたい声を拾うことができるのも我々が周波数を合わせるから。

 

逆に自分が探しているものがわからなければ、

 

目と耳をちゃんと開けていても我々は驚くほど見えていないし、聞こえていない。

 

まずは自分が 何を見つけたいのか、何を聞きたいのか、

 

それを明確にすることから始める。

 

周波数を合わせられるように。

 

 

夢の映画

 

「こんな夢を見た」

 

というタイトル文字が出て始まるのは黒澤明監督の1990年の作品「夢」。

 

黒澤明監督自身が実際に見た夢かどうかはわからないけれど、オムニバス形式で幾つかの夢がショートフィルムとして作られている。

 

その映画を20年ぶりに観たのが理由ではないけれど、この三日間、自分が見た夢の話を書いた。(逆転勝訴の虚しさ、サイコパスの行方、海賊の捕虜)

 

自分でも変だと思う夢ばかり恥ずかしげもなく書いたけれど、ちょっとした物語を紡ぐ楽しさと難しさを実感できた。

 

他の国や他の文化ではどうかわからないけれど、少なくとも日本語と英語では睡眠中の「夢」も将来の「夢」も同じ言葉を当てる。

 

「夢」という言葉に託された「夢」も「儚さ(はかなさ)」も共通点があるからなのだろう。(「儚い」という字も「人の夢」と書くのがまた何とも面白い!)

 

子供の頃の筆者の夢は映画監督になることだった。

 

スティーブン・スピルバーグジョージ・ルーカスと一緒に映画を作ることをずっと夢見ていた。(そう言えば、冒頭の「夢」はスピルバーグのプロデュース作品だ!)

 

その夢は叶わなかったけれど、また違う夢を見ている。

 

その夢が実現するようにひたすら日々頑張っている。

 

いつの日か、望んだ夢が現実になるような、眠っている間の夢が将来の夢として叶うような、現実との区別がなくなるような、そんな夢のような日々を送りたいと思った。

 

それが「エルム街の悪夢」のような怖いものでなければいいなと願いながら。

 

 

 

 

海賊の捕虜

 

海賊船の甲板にいる。

 

海賊に捕らえられ、ヒロインと共にマストに括り付けられている。

 

我々は囚われの身なのだ。

 

と言っても、一昨日、昨日に引き続き夢の話。

 

一昨日昨日と違うのは最近見た夢ではなく、小さい頃に何度も見てはうなされた夢であること。

 

毎回同じシーンで毎回同じところで目が覚めていたことを思い出す。

 

片手が鉤型になっている怖い海賊の船長に宝のありかを尋ねられ、しらを切ろうとするものの自分の命だけでなくヒロイン(お姫様?恋人というには幼すぎたのだが)の命がかかっていることで悩み、苦しみ、最後に・・・

 

というところで目が覚める。

 

苦しみながらも宝のありかは言わない自分がちょっとだけ誇らしい気分になったのを覚えているけれど、悲しいかな口を割らないことでたいていは殺されるシーンで終わってしまう。

 

一度だけ続きを見た。

 

その回では、後ろ手に縛られているロープをどうにかほどき、ヒロインを解放した後、船長とマストの上で闘う。まるでピーターパンだ。

 

その結末がどうたったかまでは覚えていない。

 

ハッピーエンドとはいかなかったような気がするけれど、そこは記憶が定かではない。

 

幼い頃にどうしてそんな夢を見たのか。なぜ何度も同じ夢を見たのか。いつから見なくなったのか。またいつか同じ夢を見るだろうか。

 

答えはないのだろうけれど、

 

次に同じ夢を見る時はなんとしてでもハッピーエンドに持って行きたいものである。