ジェットコースターのように

 

緩急、強弱、高低・・・

 

野球のピッチングかと見紛う言葉たちは、日々の生活における退屈からの脱却とともに新しい学びの獲得に有効なヒントでもある。

 

同じ職場(学校)に同じ顔ぶれの仲間にさして代わり映えのしない仕事(勉強)が現実というもの。

 

何をするかはそれほど大きく変えられないけれど、どうするか、どのようにするかは自分次第だ。

 

緩急をつけたり、強弱に気を配ったり、高低を意識して取り組むことが日々の生活をエキサイティングなものにする。

 

それはそのままジェットコースターのような毎日になるかもしれない。

 

遊園地が好きな人には是非オススメしたい生き方である。

 

狼おじさんの魂胆

 

「まだ世界はあるだろうか?」

 

最近目覚めるとふとそんな思いが駆け巡ることかある。

 

その度に自分が無事であることを確認するとと共に他の都市やそこで生活している人がつつがなく過ごせているかが気になってスマホYahoo!ニュースを開くようになった。

 

昨日早朝に北朝鮮が今年7度目の弾道ミサイルを発射した。

 

発射後30分程度で日本海に落ちたという。

 

怖いのは、ミサイル発射という本来あってはならない戦争行為に慣れてしまい大したことない、日本まで届かない、そんな技術も度胸もないと高を括ること。

 

なぜなら彼の国の首長は我々日本人や世界を欺こうとしているのかもしれないから。

 

性善説に立ちがちなナイーブな日本人。

 

狼少年ならぬ狼おじさんの狂気、いや冷静な戦略、戦術の術中にはまっていないか、

 

細心の注意と撤退した準備を怠ってはいけない。

 

口に貼る絆創膏

 

知らず識らずのうちに口呼吸になっている。

 

花粉症や鼻炎などのアレルギー反応があることで自分で意識しないところで口で呼吸をしていた。

 

それが寝ている間も踏襲されていて、朝起きた時にぐったりとしていたり、身体の重さを感じたりと疲労感が残っている感覚が長年続いていた。

 

最近になって口呼吸の弊害が盛んに指摘されるようになり、対処法が喧伝されたり、そのための商品が販売されたりと現実路線が強化されている印象を持っていた。

 

実際にドラッグストアで鼻呼吸を促すための、テープ(鼻孔拡張テープ)、ブリーズライトを試したり、口を閉じるテープを買って試したり。

 

それはそれで効果はあったけれど、使い続けるためには高価過ぎる。

 

と思って、普通のバンドエイドを寝る前に口に貼ったらこれがうまくいくではないか。

 

寝ている間の鼻呼吸が余儀なくなり、睡眠が深くなり、日中の眠さや気だるさが抜けたように感じる。

 

口に貼る絆創膏の効果は絶大だ。

 

 

目からウロコ ー寝癖直しー

 

前の日楽しく飲んで帰ってシャワーを浴びて髪を乾かすことなく眠りについた。

 

翌朝眼を覚ますと案の定髪は爆撃を受けたかのような状態に。

 

これはもう一度シャワーを浴びる方が早いと思った瞬間息子が散髪に行ったときに聞いてきた寝癖直しの方法を思い出して半信半疑で試してみた。

 

すると、一瞬で治ったのだ!

 

これまで何十年と格闘してきた寝癖をこんなに簡単にしかも費用も時間もかけずに直せるなんて。まさに目からウロコが落ちたかのよう。

 

そのシンプルな方法はこうだ。

 

寝癖のついた箇所に水をつける。

 

それを根元からゴシゴシする。

 

それだけ。

 

それだけで髪がリセットされるのだ。

 

寝癖直し用の高価なスプレーなんて要らない。

 

ゴシゴシするだけ。

 

ポイントは頭皮をゴシゴシすること。

 

そう。

 

根元から正すのだ。 

 

神様のえこひいき

NHKの朝の連続テレビ小説ひよっこ」で和久井映見扮する永井愛子さんが言う。

 

ちゃんと毎日を生きてないといいことはやってこない。神様がいるのかどうか知らないし、いたとしても本当にみんなのこと平等に見てるのかなと思うけどね。でも、ちゃんとがんばってないと神様は気づいてくれない。私はそう思う。私が神様だったら辛いことあってもがんばってる人に幸せをあげたいなって思うしね。

 

「そうだね〜」

 

の「だ」にアクセントをつけて茨城弁風に、有村架純扮する谷田部みね子を想像しながらしっとり同感した。

 

神様だって時々はえこひいきしたくなってもおかしくない。

 

えこひいきを期待して、ではなく、

 

辛いことがあっても、なくてもがんばりたい。

 

がんばろう。 

 

 

委ねる心地よさ

 

全幅の信頼を寄せて全てを委ねる。

 

その心地よさと言ったら。

 

歯医者さんの診療台の上でそんなことを考えた。

 

というより感じた。

 

それは身体的なものではなくて精神的なもののような気がする。

 

信頼をおく、誰かを条件をつけずに信じ切る、

 

たとえどんな結果になったとしても。

 

その覚悟とその人や全システムへの完全なる信頼が心地よさを連れてくるのではないか。

 

そんな気がした。

 

ギリギリのキャッチボール

 

ギリギリのキャッチボール

 

それが楽しい。

 

強めのボール、高め低め、変化球を織り交ぜて意表をつく。本気で投げる。本気で捕る。

 

簡単過ぎるのは面白くない。

 

会話のキャッチボールも同じだ。

 

ギリギリの真剣勝負が本気を引き出し、ギリギリのところで勝負が分かれるからこそ面白いのであり、今までの自分を超える喜びが生まれる。

 

ギリギリのキャッチボールをもっとしたい。

 

そのためには相手を見つけなければならない。

 

強めのボールを投げるところから始めよう。