風流でなくとも

 

しばしばホワイトカラーの仕事効率の低さが話題になる。

 

働き方改革が叫ばれ、一部の企業では半ば強制的に残業停止や有休取得で逆に窮屈な働き方になったという弊害も報告されている。

 

その元凶の一つが「丁寧さ」にあるのではないか。

 

「何をするか」よりも「どのようにするか」、「丁寧さ」に価値が置かれ、「何をするか」、「その効果がどうか」よりも重要視される。

 

受取手がどう感じるか。心地良さを感じられるか、納得感が得られるか、そんな感情が優先されるからこそ、そこに気を配る必要があるし、時間がどうしても掛かってしまう。

 

例えば、メール一本送るにしても宛名を書いて、「お疲れ様です」とか「お世話になっています」とか、流石に季語の含まれた時候の挨拶まではいかなくとも現代版のそれに近いものになっている。それこそが非効率の代名詞と言ってもいいのではないか。

 

もちろん「どのようにするか」が重要視されることで「おもてなし」や「目に見えないところにも気を配る、手を掛ける」という完成度の高さに通ずるものが養われるのであろうが、いかんせん時間とエネルギーが掛かり過ぎて弊害の方が大きくなってしまっている。

 

現代版季節の挨拶を削除することから始めなければならないのかもしれない。

 

風流ではなくとも・・・