この世の中で最も幸せな瞬間
それは、
愛する人と結ばれる瞬間ではなく、
夢が叶った瞬間でもなく、
仕事で大成功できた瞬間でもなく、
朝、眠りから覚めてもまた時間を気にせず二度寝できる時である。
至福の時を実感できる瞬間だ。
昨日のブログでは最寄りの駅周辺にあるトンネルを幾つか紹介した。(もう一つのトンネル)
その最後に比喩(メタファー)としてのトンネルについて考えたいと書いた。
実際のトンネルのことを考えれば考えるほど比喩としてのトンネル、長く暗いトンネルをイメージするし、閉塞感で息がつまる思いもするけれど、出口のないトンネルはないし、トンネルこそ目的地までの最短距離であり、誰かが苦労して築いた近道。
人生において時に長く暗い道を一人で歩いているような気分になる時は、誰かが自分のために苦労して掘ってくれたトンネルを歩んでいるのだと思い出せばいい。
トンネルの先には楽園か広がっていることを信じて。
今、新幹線の中で幾つものトンネルを越えているところだ。
最寄りの駅の近くには3つトンネルがある。
南北の行き来にたくさんの人が利用している。
駅すぐ横(東側)にある歩行者用トンネルがこれ。
2つ目は駅東側にある車が行き来できるトンネル。中央は歩行者用と駐輪場が兼用になっている。
3つ目のトンネルは子どもたちが大好きなトンネル。駅の西側100〜150メートルくらい に位置していて大人は屈まなければ通れないほど小さい。
こんな感じ。
反対側(南側)はこんな感じ。
125センチの女の子が屈まなくてギリギリ立てている。
そんな駅近くの生活用トンネルにもう一つのトンネルがあることに気づいた。
それがこれ。
反対側(北側)
さすがに人は通れないけれど、排水溝としての役割は今も果たしているよう。
それでも感じたのは、実用よりも何かのメタファー(比喩)としてのトンネル。
もう一つのトンネルの意味を考えてみたい。
環境を守ることが大切ということは誰もが知っている。
それも一つの結論。
大事なことはそれを物語にして話すことであり、聞かせること。
小学四年生の娘が学校のグループ課題で取り組んだ作品が市の展覧会に入選した。
世界は広いけれど、西宮市も案外広い。
優秀作品が壁一杯に並んでいる。
世界からもたくさんの作品が届けられた。
個人のポスターも興味深い。
ここでもまた結論、正論をそのまま伝えるものよりも物語を意識させるような、背景や未来を想像させるような作品に心が吸いつけられた。
自分の頭で考えることが全ての始まりになる。
センスのあるなしは関係ない!
帰り道にある小学校のフェンスに貼られていたポスターがシュールでこれまた心を惹きつけられた。
環境を守るためにできることは意外に色々ありそうだ。
「あなたのことを愛しています」
それもいいけれど、
愛する人に会うために数千キロを自転車で走破した話の方が説得力があるし、何よりロマンティック。
「一人の命は地球よりも重い」
インパクトのある言葉ではあるけれど、一人を救うために多くの人を犠牲にすることは果たして正しいことなのか。それも自分の愛する人が掛かっている時も同じ疑問を投げかけられるのか。
我々はいつも結論を知りたがるけれど、結論だけでは心は動かされない。
そこに物語があるからこそイメージが湧き、共感が生まれ、感動する。
心が揺さぶられるからこそ身体が動き出す。
物語が伝達のための最強ツールと言える所以は、
我々自身が日々の生活と格闘しながら人生という物語を紡いでいるから。
そんな気がした。
考えの筋道が通っている人の話はわかりやすい。
それに説得力がある。
逆に、言いたいことをたくさん羅列するような話し方は、情報量は多くとも浸透率は決して高くないし、ましてや人の心を動かすことは望めない。
その本質的な違いは、物語がそこにあるかどうかだという気がした。
我々はどこから来て、どこへ行くのか。
それが人類を最も魅了する問いであり、その答えが物語という形式を取るならば、物語こそ最強の伝達手段と言っていいはず。
考えの筋道を通すことは物語を語るということ。
我々はもっと物語を語ればいい。
語ろうではないか。
昨日で2月が終わった。
往ぬる1月、逃げる2月が飛び去り、12分の2が終了した。
始まったばかりと思っていた2017年もあっという間に6分の1が過ぎ去り、去る3月が終われば、4分の1を走りきることになる。
歳を重ねれば重ねるほど時間は加速度的に進んでいく。
決して悪いことではないけれど、残された時間を意識しないと言えば嘘になる。
一生に一度しかない2017年。
一生に一度しかない2017年の3月。
12分の3の始まりに、
一旦立ち止まり、
自分がどこへ行こうとしているのか、誰と、どのように行こうとしているのか、
そんなことを暫し考えてみたい。