ファーストピンを狙う

 

ボーリングでストライクを取るために外してはならないのがファーストピンだ。

 

投げ手から見て三角形の角っこにある最初のピンにボールを当てなければストライクはまず取れない。

 

逆にファーストピンに当てることができれば1投で全てが片付く可能性が断然高まる。

 

ボーリングなら至ってシンプルな目標も現実世界ではなかなかそうはいかない。

 

仕事でも勉強でもついつい目の前のことに取り組みがちだけれど、往々にして目の前にあることがファーストピンではないことが多い。

 

そうなると全てのピンを倒すために手数が必要になるし、時間もエネルギーも余分にかかることになる。

 

自分の仕事のファーストピンは何だろう?

 

今日の仕事のファーストピンは?

 

自分の人生にとってのファーストピンは捉えられているか?

 

視線の先に常にファーストピンがあるようにしておきたい。

 

 

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人生で初めて・・・という訳ではないけれど、お金を払ってプロに靴磨きをしてもらった。

 

人生で2回目の体験は1回目とも恐らく誰もが持っている靴磨きのイメージとは異なるものになった。

 

おしゃれなバーのような外観にイケメンのジェントルマン2人が熱心に靴を磨いている。

 

そんなお店でお世話になった。

 

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磨いてもらう靴を預けることもできるし、目の前で磨いてもらうこともできる。

 

知り合いの起業家のお店でせっかくの機会なので靴談義をしながら目の前で磨いてもらうことに。

 

カモミールの香りのするティーがシャンパングラスで出てくる。

 

仕事は別に始まっている。靴紐を解いて徐ろにクリームを塗りつけていく。

 

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丁寧に丁寧に丁寧に指で数種類のクリームを順番に塗りつけていく。

 

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他の人の靴も丁寧にブラッシングしていく。

 

その音がたまらない。

 

先端を一番にピカピカに横から後方に向けてグラデーションをかけるように磨き上げていく。

 

完成!

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新しい靴を買うのもいいけれど、自分が持っている靴をこうして時間とお金をかけて手入れすることでまた別の充実感、満足感を感じられるのが不思議だ。

 

 

一瞬を切り取る ー歩くー

 

今年の月一企画「一瞬を切り取る」の4回目は「歩く」にフォーカスしてみよう。

 

我々は普段何気なく歩いている。

 

右足を前に出して次に左足を前に出す。進んでいく。

 

それだけ。

 

スピードは必要に応じて調整するけれど、歩き方を意識することはほとんどない。

 

自分がどのように右足を出すのか? 踏み降ろすのか? 膝の使い方は? 足首の位置は? 着地時に靴のどの部分が先に着いているのか? 体重移動はどうなっているのか?

 

そんなことはいちいち考えない。

 

それでも人型ロボット開発で最も苦労することの一つが二足歩行なのだという。

 

人が当たり前のように行っている動作は驚くほどたくさんの細かなプロセスとバランスの上に成り立っている。

 

胸を張り、体重を頭の先から背骨を通し、尾骶骨を渡って踵で受け止める。

 

徐ろに右足を出し、踵から下ろし、足裏の外側から前に体重をかけ、親指でしっかり踏み込み蹴り上げる。

 

その作業の途中、左足を同じ順序で回していく。

 

普段より少し大きく両腕を交互に振る。

 

視線は真っ直ぐ前に腰椎を真っ直ぐ立てたままスタスタスタっというイメージで歩いていく。

 

颯爽と。

 

風を切って。

 

 

一瞬を切り取る -呼吸- 

一瞬を切り取る -髭剃り-
一瞬を切り取る -おにぎりを食べる-

 

只者ではない運転手

 

「この人只者ではない」

 

そう感じたのは仕事関係の人がタクシーの運転手さんと話していた時のこと。

 

その人もタクシーに乗る時はその土地土地の生の意見を聞くことにしているそう。

 

その人が建設に関わった施設の評判を聞いたところ、運転手さんの口から出てくる言葉がまるで施設の企画から参加していた関係者かと思うほど的を射ていたという。

 

仕事柄いろんなお客さんから様々な話を聞くからだろうけれど、たくさんの話の中のどれとどれをピックアップして、自分なりの味付けをするかはその運転手さんの感性にかかっている。

 

只者ではないタクシーの運転手さんのいるこの国はまだまだ捨てたものではない。

 

 

 

運転手さんの趣味

 

 昨日に引き続いてタクシー閑話。

 

先日乗ったタクシーで目の前にある助手席のヘッドレストの後ろ側に運転手さんのプロフィールが貼ってあった。

 

名前やタクシー運転手歴の他に「趣味」の欄がある。

 

「ドライブ」

 

そう書かれているのを見て一人で微笑んだ。

 

帰りのタクシーでもまた別の運転手さんが同じことを書いていて少し考えさせられた。

 

これは悲しいことなのだろうか。それとも趣味を仕事にしている幸せ者の証なのだろうか。

 

土地の景気を尋ねてみると、全然変わらないという達観した答えが返ってきた。

 

「ここいらでこの仕事は年金をもらってる人の仕事ですね」

 

市井の人々の生の声だと思った。

 

真夜中のタクシーのテーマ

 

仕事で時々タクシーに乗る機会がある。

 

地方で乗る時には運転手さんに話し掛けることが多いのだけれど、ふと浜田省吾の"Theme of midnight cab"という曲を思い出した。

哀愁漂うインストロメンタルに作者が乗り合わせたであろうタクシーの運転手が自分の想いを独り言のように、お客さん相手に語り出す。

http://sp.utamap.com/showkasi.php?surl=F02857

自分なりに訳を当ててみよう。

友人の葬式に行ったんだ。16歳からの友達でもう随分になる。何十年と会ってなかった顔も見つけたけれどみんな年老いていた。もちろん俺も。不思議なのはこの男のことを40年以上も知っていたのに彼の死を悲しく感じないんだ。いや、悲しくないと言えば嘘になる。いい奴だったし、でも結局のところ人はみんな独りで死んでいくんだ。そういうもの。心が痛んだのはあいつの奥さんや子どもたちを見たときだった。彼らはまだ若いし、なんて声をかければいいのかわからなかった。死というのは残された人たちだけに意味があるもの。だんな、家族はいるのかい?
思うんだが、家族のいない奴が死ぬというのは、そいつは本当の意味で生きてはいなかったのではないか。本当には存在しなかったと言えるのではないか、と。逆に、生きるというのは生きている者のためにある。なぜなら世界はここにあって今こうして俺が生きていて、運転しているのだから。

 

夜は更けていく・・・

 

浜田省吾

 

https://m.youtube.com/watch?v=Jx6de94nptg