振り出しに戻る

 

カチンときたり、イライラしたり、ストレスを感じるのはたいてい自分の中の期待値に他の誰かが達していない時。

 

どうしてしないのだろう? なぜそんなやり方をするのだろう? どうしてわからないのだろう?

 

知らず識らずのうちに「こうあるべき」を自分の中に作り上げて、その基準値に満たないと勝手に判断し、勝手にストレスを感じて苦しい思いをする。

 

改めてそんな姿を自らに見てバカじゃなかろうかと思った。

 

そんな時は振り出しに戻ればいい。

 

こんな話を思い出す。

 

イギリスの保育園、幼稚園では毎朝違うお友達とペアになってこんなゲームをするのだとか。

 

ペアになった相手の目を見て、先生が「お友達の目は自分の目と同じですか?」と尋ねると全員が「違いまーす!」と答える。次に鼻を見てくださいという先生に子どもたちがまた「違いまーす」と答える。これを何回が繰り返した後、先生がもう一問問う。

 

「目の前にいるお友達が今何を考えているかわかりますか?」

 

無邪気な子どもたちは一斉に答える。

 

「わかりませーん!」

 

「自分の顔とお友達の顔が違うことがわかりましたよね。それからお友達が何を考えているかはわかりませんでしたよね。自分と他人は一人ひとり違うのということがわかったと思います。」

 

自分と他人は違う。

 

一人ひとりは違う。

 

これまで経てきた経験や学んだこと、そこから作り出される価値観は、当たり前だけれど、一人ひとり異なる。

 

ほんの少し立ち止まって考えればわかることなのに、全てを自分基準で考えて、ついカチンときたり、イライラしたり、ストレスを感じてしまう。

 

それは他人の問題ではなく、どう受け止めるかという自分の課題。

 

人は一人ひとり違う、異なる価値観を持っている、

 

そんな当たり前の、スタート地点に戻って、振り出しに戻って、

 

やり直せば、自分が楽になる。

 

周りも幸せになる。

 

 

プロに任せる

 
自分の手でするからこそ身につくことは多い。
 
実際、自分でするからこそ試行錯誤を繰り返し、苦労し、そこから学び成長する。
 
それでも今日は「プロに任せる」というタイトルでその価値と意味について考えてみたい。
 
プロに任せる
 
例えば、料理をプロに任せるのは外食がそうだろうし、クリーニングも洗濯とアイロンがけを任せることになるし、家の掃除も最近は業者に委託するケースが増えている。
 
プロに任せることでプロの仕上がり、クオリティを期待できるのがいいし、何より時間の節約になる。
 
最近読んだ記事によると(出展も何も覚えていなくて恐縮だけれど)、ある研究結果で「人は時間があると幸せに感じる傾向が強い」そう。
 
どれだけお金があって仕事にやりがいを感じていても、人間関係が良かったとしても、時間に追われてばかりだと幸福感は上がらないのだという。
 
記事の中でも「タイムイズマネー」(時は金なり」の金言が紹介されていた。
 
プロに任せる一番の価値は時間を買うことができるから。
 
お金はかかるけれど、時間を買えるのならもう少しプロに任せることを戦略的に、積極的に考えてみてもいいかもしれない。
 
 
 
 

強制という師

 

勉強する、効率よく働く、家事をする、運動する、食事に気をつける、ダイエットする・・・


意志の力に頼ったらよほどの人物でなければ失敗する。


努力も工夫も愛の力も役には立たない。


少なくとも長くは続かない。

 

かと言って、嘆くこともない。

 

それが人間であり、

 

我々なのだから。

 

いっそのこと、強制という力に頼ってみたらどうだろう。

 

学校も会社も家族もそれぞれ(半ば)強制的に勉強、仕事、家事をしなければならない環境と言っていい。

 

一人っ子で何もかもできればそれにこしたことはないけれど、運動するならジムに通うのがいいし、食事に気をつけるのもダイエットに挑戦するのも誰かの手を借りる方が成功の確率は高まる。

 

せざるをえない環境を作るのが一番だ。

 

強制という師に弟子入りすればいい。

 

他人の力を使えばいい。

 

強制という師を探し始めよう。

 

 

スポンジを変える

 

職場の同僚(女性)が言っていたことが新鮮だった。

 

「(食器洗い用の)スポンジをかわいいのに換えたら洗い物が楽しくなりますよね」

 

「変わらない・・・」

 

間髪入れずに正直な感想を言ってしまったのだけれど、女性の感性の鋭さであり、"kawaii"の源泉であり、男性には永遠に理解できない感性の違いなのだと感じた。

 

それでもiPhone6のカバーが随分くたびれてきていて、変えたいと思っていたところ、

 

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気に入ったものを見つけて取り付けてみると、

 

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新しい感覚、楽しい気分になれて驚いた。

 

女性の感性の豊かさであり、世界が女性の感性で成り立っている理由を深いところで理解できた気分になれた。

 

家のスポンジも変えてみたらいいかもしれない。

  

ほころびというサイン

 

 

あるお店でのこと。

 

隣にいたダンディな男性が4万円もする高価なセーターを何のためらいもなしに購入した。

隣にいた私はありえないと感じつつもうちに帰りバッグを開けてみると、なんとその高価な手縫いのセーターが入っているではないか。

驚きつつも胸に当ててサイズを確認してみると腰回りの一部にほころびが見つかった。

それが結構大きなほころびになり、苦情を言うつもりでお店に戻ろうとしたところで目が覚めた。

今朝見た夢の話である。

その後、録画して観た今日のNHK朝の連続テレビ小説ひよっこで主人公のみね子がお母さんと一緒に行方不明だった父と女優と話し合うという緊迫した場面でお母さん演じる木村佳乃が自分の着ている上着にほつれを見つけてそれがやたら気になるシーンがあった。

 

それが心の何処かに引っかかりつつも仕事に出掛けると思ってもみなかったところでトラブルが生じていた。

 

万全を期すつもりで働いていてもちょっとした油断や慢心、そもそもの力不足でほころびが生じてしまう。

 

大事なことはすぐに修繕すること。

 

ほころびをそのままにしたら大きな穴になってしまう。

 

高級なセーターも台無しになってしまう。

 

夢のほころびも朝ドラのほころびも何かのサインかもしれない。

 

もう一度、気を引き締めて事に当たらなければならない。

 

いっそのこと

 

昨日のブログで「いっそのこと」という言葉を使ってふと思った。

 

開き直るための魔法の呪文だと。

 

いっそのこと全部やめてみるか

いっそのこと全く違うやり方を試してみるか

いっそのこと目標自体を変えてみるか

 

これまでしてきたことを総括し、それでもそのまま同じ軌道で進めないと悟った時に方向転換をするために使う表現。

 

そこには驚くほどの爽やかさがある。

 

潔さがある。

 

いっそのこと

 

このブログもやめてみるか。

 

 

 

なーんて。

 

不思議なほどまだまだこの軌道のまま進んでいける、いきたいと感じている。

 

皆様  これからもよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

開き直る

 

苦しくて苦しくてどうしようもない時

 

足掻いて足掻いて足掻き抜いても一向に光が差し込んで来ない時

 

そんな時は、

 

①光が見えるまで足掻き続ける

②その場にうずくまって体力の消耗を避ける(タイミングを待つ)

③諦めて来た道を引き返す

 

誰かに頼ることができないのなら、それら3つのうちのいずれかしかない。

 

どれが正しくてどれが間違いというのではなく、その場その場で対応していくしかないのだけれど、時にブレークスルーが起こるのは③のケース。

 

苦しくて苦しくてどうしようもない

 

そんな風に感じて行き詰まり感に苛まれている時にはいっそ、

 

「やーめた」

 

と言って、来た道を引き返してみればいい。

 

幾ら叩いても壊れないのならいっそ壊すのをやめてみたらいい。

 

解は全く別の場所にあるのかもしれない。

 

悩み苦しむよりも開き直って明るく楽しくリラックスしていた方が案外うまくいく。

 

下を向いてうんうん唸っていた時には見えなかったものが見えるようになるかもしれない。

 

いっそのこと開き直ってみたら新しい世界が広がるかもしれない。