コロナ協奏曲

 

あれほど無かったマスクがいろんなところで販売され始めた。

 

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まだまだ価格は高めだけれど、入荷はされるようになっている。

 

逆に、品薄になり始めているものもある。

    

小麦粉である。


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家でたこ焼きをしようとしたのだけれど、大なり小なり、多少の違いはあれ、どこの家庭も同じことを考えるのだろう。

 

それでも米粉パウダーは手に入れることができ、

 

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普段と変わらぬ美味しく楽しいたこ焼きパーティーを家族で開くことができた。

 

このコロナ協奏曲に合わせて、もうしばらく自分たちなりの楽しみ方を見つけていきたい。

 

 

逆転の行動

 

忙しいのは良いこと、仕事が速いのは良いこと、長時間働くのは良いこと・・・

 

いつの間にか刷り込まれた価値観を剥がすのは容易ではない。

 

特に自分だけでなく組織がそうなっている時、上司がそうなっている時は尚更だ。

 

それでもコロナショックで世界が震撼し、人々の考え方や価値観が一気に変わる可能性が高まっている。

 

忙しさにかまけて十分な仕事をしている気になっていないか。

 

問題の本質を探り当てられているか。

 

「逆転の発想」を活かすのはまさに今。

 

他人と違うことを恐れずに、

 

勇気を持って、

 

「逆転の行動」に繋げよう。

 

 

忙しさに逃げない

 

「忙しさに逃げない」

 

それを今月のキーワードにしたい。

 

どういうことかと言うと、メール処理や資料作成、会議の準備に電話対応といった目の前の仕事にかまけずに「考える仕事」をするということ。

 

目の前にある仕事を片付けていると仕事をしたような気分になる。

 

実際スピード感を持って仕事をしていると捗るし、忙しいことに間違いはない。

 

しかし、忘れてならないのは効果だ。

 

その高い効果を出すためには「緊急だが重要ではないこと」に時間をかけず、最も重要なことに最大のエネルギーを費したい。

 

そのために「考える仕事」に時間を割く。

 

忙しさに逃げることなく、

 

真に重要なことを突き止めるために時間とエネルギーをかけよう。

 

 

透明化への過程

 

インターネットが社会のインフラとして定着し、あらゆるものがデジタル化、オンライン化していくに連れ社会が透明化してきた。

 

そんな印象を持つようになったのはいつ頃からだろうか。

 

20世紀までの物事には形があり、光が当たれば明るい部分と陰の部分が出来た。

 

進化を続けるためには陰の部分にエネルギーをかけるよりも明るい部分に集中する方が効率が良いのは自明の理。

 

それがインターネットの出現により、組織と個人の力関係が変わり、デジタル化とオンライン化の浸透により情報伝達のスピードとコストが圧倒的に改善されたことで透明化が進んできた。

 

企業も国家も陰の部分をそのままにして運営を続けることは出来なくなりつつある。

 

運営が透明化されても生き残っていける組織、つまり社会にとって本当に必要とされる組織のみが生き残っていける、そんな社会に進化しようとしているのではないか。

 

そして、それは個人も全く同じ。

 

自分という存在が社会から必要とされるように、また、社会から淘汰されることのない生き方ができるように自分の在り方自体を見直したいと思った。

 

コロナショックはそんな社会の透明化を加速させる過程の一つではないか。

 

ゴールデンウィーク最終日に明日の準備をしながらそんなことを考えた。

 

 

寛容度を問う

 

マスクをするよう注意をした警備員が射殺された。

 

ショッキングなニュースはアメリカから。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200505-00000026-asahi-int

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国内でもマスクや消毒液を始めとしたコロナ対策商品が手に入らない状態は続き、外出自粛が叫ばれ、緊急事態宣言は延長となり、収入源が断たれようとしている人が増え続け、その結果、不安が増し、イライラが募り、人々の、社会の寛容度が急激に下がっている。

 

昨日もコロナ陽性反応が出た20代女性が高速バスに乗ったことで家族まで特定され、ネット上で非難の渦が巻き起こった。

 

多摩川沿いで50人規模でバーベキューパーティーを主催した人にもバッシングの嵐が吹き荒れ、当の本人が逆切れをして、世間を騒がしている。

 

ふと我に返る。

 

寛容度が下がっているのは、

 

世界や社会やネットというどこか遠くの話だけではなく、

 

職場や家族、身の回りの人も例外ではなく、何より自分自身も同じではないか。

 

巣篭もり(籠城)のゴールデンウィークもあと一日。

 

職場復帰の前に自分の寛容度を問うことから始めたい。