透明化への過程

 

インターネットが社会のインフラとして定着し、あらゆるものがデジタル化、オンライン化していくに連れ社会が透明化してきた。

 

そんな印象を持つようになったのはいつ頃からだろうか。

 

20世紀までの物事には形があり、光が当たれば明るい部分と陰の部分が出来た。

 

進化を続けるためには陰の部分にエネルギーをかけるよりも明るい部分に集中する方が効率が良いのは自明の理。

 

それがインターネットの出現により、組織と個人の力関係が変わり、デジタル化とオンライン化の浸透により情報伝達のスピードとコストが圧倒的に改善されたことで透明化が進んできた。

 

企業も国家も陰の部分をそのままにして運営を続けることは出来なくなりつつある。

 

運営が透明化されても生き残っていける組織、つまり社会にとって本当に必要とされる組織のみが生き残っていける、そんな社会に進化しようとしているのではないか。

 

そして、それは個人も全く同じ。

 

自分という存在が社会から必要とされるように、また、社会から淘汰されることのない生き方ができるように自分の在り方自体を見直したいと思った。

 

コロナショックはそんな社会の透明化を加速させる過程の一つではないか。

 

ゴールデンウィーク最終日に明日の準備をしながらそんなことを考えた。