苦手を楽手に

「〇〇は苦手なんだぁ」

 

身の回りでもテレビでも最近よく耳にする台詞。

 

対象は食べ物や飲み物、匂いのような生理的なこともあれば、人や仕事のように範囲がより広いものもある。

 

何かを苦手というのは簡単だけれど、いったんそう口にすると自分自身に刷り込みをすることになる。

 

自分で発した苦手という言葉に自分の脳が反応して、それを刷り込み、苦手意識が強まっていく。

 

軽い気持ちで発した言葉が対象物の可能性を摘み、自分自身の世界を狭めるのは避けたいもの。

 

苦手を苦手と言わないことから始めたい。

 

その先には楽手が潜んでいるのかもしれないのだから。

溜め息と一緒に

 

エレベーターに乗ってきたのはゆうに190センチを超える外国人男性だった。

 

その人はエレベーターに乗り込んできてドアが閉まった途端「はぁー」っと大きな溜め息をついた。

 

あまりの溜め息の大きさにエレベーター中の空気が二酸化炭素に置き換わったのではないかと思えるほど。

 

溜め息と一緒に出て行ったものがある。

 

本人は意識せずとも。

 

「溜め息を吐くと幸せが逃げていくんだよ」

 

高校時代の友人がそんなことを言っていた。

 

深い呼吸をするのは良いけれど、溜め息を漏らすのは極力避けたい。

 

溜め息と一緒に失ってしまうものを考えて。

 

学びを止めない

昨日のブログの最後に「学びを止めない」と書いた。https://norio373.hatenablog.com/entry/2022/06/14/232406

 

学びを止めた人が他人に厳しくなる

 

そんな仮説を提示したこともそうだし、コロナ禍の中だからこそでもあり、人生100年時代であり、不確実な世界でもあるから。

 

学びは自分への投資

 

学びを止めたら成長が止まる

 

成長が止まると老化が進む

 

老化が進むと・・・

 

学び続けることは成長し続けることであり、成長し続ける限り、老化を遠ざけることができるはず。

 

学びを止めない

 

 

厳しさの源

 

「他人に厳しくなるのは学びを止めた人」

 

そんな発言を聞いて何かが氷解した気分になった。

 

「学び続けているとその大変さがわかるから他人に厳しくあたることってできないと思うんですよね」

 

ますます納得。

 

こんな言葉を思い出す。

 

春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら慎む。

佐藤一斎

https://www.startcreation.biz/post/kyounomeigen58

 

そのためにも

 

学びを止めない。

 

正確さ<適切さ

とあるセミナーに参加してこんな話を聞いた。

 

「正確さはもちろん大事だけれど、今、重要視したいのは『適切さ』なんですよね。『正確』というと答えが一つになりがちですが、『適切』というと幅が広がり、自由度が増すんですよね。今はこちらの方が大事だという認識を持っています」

 

正確さが求められる仕事は山ほどあるし、それが欠けると命取りになることもある。

 

他方で、正確さに拘るあまりに不必要なエネルギーや時間が掛かってしまうことも少なくない。

 

そんな時は「適切さ」を優先させればいい。

 

自由度が上がることで思考力や判断力、表現力が求められ、それが多様性や許容範囲を広げることにもなる。

 

正確さばかりに拘るのではなく、適切さを意識していく方がいいこともある。

 

それもまた「適切さ」が介在する範疇と言えるのではないか。