両親から「声の出し方」を教えてもらうことはなかった。
学校でも「声の出し方」を習うことはなかった。
「当たり前のこと」であるから。
それは「歩き方」や「人の話の聴き方」を誰から習うことなく育つのと全く同じ。
しかし、そういう「当たり前のこと」を「お箸の使い方」や「楽器を習う」のと同じように正しく学ぶことができれば、結構人生が変わるのではないかと感じた。
声が人に与える印象は決して小さくない。喉元でボソボソと呟くように話すのではなくお腹からしっかり声を出し、滑舌良く話すことがコミュニケーションにおいてよい印象を与えることは想像に難くない。
「姿勢正しく歩くこと」も「人の話を傾聴すること」も身につけていると決して損はしないはず。
本来こうした「当たり前のこと」は家庭の「躾」の一環だった。それが零れ落ちた結果が今の状態ということなのであれば、改めて考えてみることの重要性も決して小さくはないはず。
これからますます厳しくなってくる競争社会において、よりレベルの高いものが個人に求められることを考えると必ずどこかで身につけておくべきことだと感じた。
新しいビジネスチャンスかもしれない。