無条件の愛が育むもの

昨日のブログでは「条件つきの愛」が当たり前になり過ぎて誰もそのことを考えることすらしないことを指摘した。
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20121225



無条件(無償)の愛の行方を憂いたけれど、そもそも無条件(無償)の愛は何を育み、なぜ稀少価値があるのだろう。



暫し考えてみたい。



昨日のブログでこう書いた。



「本来「無償の愛」の対象になるべき子供に対しても同じように条件をつけ、子供の心を不安定にさせているのではないか。それが「モチベーション」という対価を求めるものだとは理解できるが、それも見返りを求める「条件つきの愛」以外の何物でもない。」と。



本来の愛の話をすると「条件つきの」という時点で定義から離れるような気がするが、ここではそこまで厳格には考えない。



それでも、大いなるものに包まれる感覚が愛にあることはわかる。



その感覚を安心感と呼ぶのなら、その安心感が何かのご褒美であったり、何かとの交換対象物であったりすることは常にそれを失う恐れを抱くことと同義語であり、心の不安定感を作り出すことと変わりないと言える。



その安心感がいつどこで誰と何をしようが得られるものなのであればそれはまさに究極の安心感であり、愛の実現に他ならない。



無条件の愛は究極の安心感を育み、それは愛の根元とも呼べるものなのではないか。



そんな気がした。