意味づけの力

昨日のブログで「つま先に体重がかかっているという一つの事実に二つの受け取り方(解釈)がある。どちらを選ぶかは自分次第だ。」と語った。
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130107



「事実」は一つでも「解釈」の仕方で意味は全く異なる。



コップの水が半分入っている事実を「半分も入っている」=満足、感謝と捉えるのか、「半分しか入っていない」=欠乏、不満と捉えるのか、ということ。



実は、その「解釈」よりも更にパワフルなツールがある。



「意味付け」



である。



コップに残っている半分の水の「解釈」は、その事実を自分がどう受け取るかという受け身の作業なのに対して、「意味付け」は自分が能動的に意味を創造することができる。



コップの半分の水も「半分も入っている」ではなく、「コップは常に完全に満たされている。半分は水で残りの半分は空気で。」という意味を与えることができるのだ。
満杯のコップ  
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20111113



身の回りに起こっている事実に自分で意味をつけていきたい。



わくわくできるような意味付けを、自分でしていくことができれば、世界は常にわくわくで満たされる。



事実がどんな形であろうとも意味をつけるのは自分、



世界を創っていくのは自分、



そのことをもう一度胸に刻んで、生きていこう。