本当にしたいこと

 

日々の忙しさを切り抜けてふと立ち止まる時がある。

 

途切れていた息が少しずつ戻ってきて周りを見渡すと、そこには真新しい世界が広がっている。

 

たくさんの選択肢があって、改めて自分が進むべき道が問われる瞬間だ。

 

たくさんのしたいことが可視化されると、やる気が引き出され、眠っている強欲が目を覚ます。

 

大事なことはその中でも本当にしたいことを探し当てること。

 

そのためには自分で自分に問い続ける必要がある。

  

「本当にしたいことは何なのか?」

 

それを最近自らに訊ねていなかったことを思い出した。

 

「最も大切なことは最も大切なことを最も大切にすることです。」

 

スティーブン・コヴィーの言葉を思い出してこうアレンジする。

 

「本当に大切なことは本当にしたいことを本当にすることです。」

 

背筋がしゃんとする。

 

色々あって

 

昨日のブログで「透明になる」について書いた。

 

見栄も期待も常識も取っ払って透明になれればそれに越したことはない。

 

欲しいものも守るものも失うものも何もなければ話は簡単。

 

ただ逆に何もないからこそ透明とも言っていい。

 

しかし、現実はそう簡単にはいかない。

 

色々あって、

 

なかなか透明にはなれないもの。

 

むしろ煩悩の炎で焼かれてしまいそうなくらいに・・・

 

だからこそ生きていく価値がある。

 

そう開き直っていけばいい。

 

色々あるのだから。

 

 

透明になる

 

何かを隠そうとしたり、何か違うものに見せようとしたり、何か特別なことをしようとするからぎこちなくなる。

 

不自然になる。

 

ありのままでいい。

 

自然のままでいい。

 

見栄も期待も常識も取っ払って、透明になればいい。

 

自分を信じて。

 

この世の中の仕組みを信じて。

 

 

尾張名古屋にて

 

今日は名古屋に来ている。

 

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街は活況を呈しているけれど、日経平均株価は19000円を割れてしまった。

 

トヨタ頼みにならぬようもう一度働き方、あるべき姿について深く考える必要があると思った。

 

尾張名古屋にて。

 

 

 

 

気まずい思い

 

ショッピングセンターで買い物をしていた時のこと。

 

お昼を食べようとサブウェイサンドウィッチに入って注文を始めると学生アルバイト風の若い店員さん(男子)と目が合った。

 

思わず見つめ合い、心の中で呟く。

 

「あ、同じメガネ・・・」

 

なんか気まずい気分。

 

店員さんは気づいたかどうかわからないけれど、この気まずさは何なんだろうと思った。

 

年齢に差があるのに同じメガネということは自分には合わない若過ぎるメガネを選んでしまったってこと?

 

はたまた何処でも誰でも買えるメガネを選んだ自分に後悔の念があったから?

 

友人と会った時に着ている服がたまたま一緒だとそんな気分になる。

 

自分らしさやオリジナリティが問われる時代である一方、デフレ社会は変わらず、大量生産、流通には規格品が出回っていることも事実。

 

そんな端境期(はざかいき)で感じる気まずさも前を向いて進もうとしていることの裏返しと捉えれば、少しは気持ちも楽になる。

 

それでも心の中では身につけるもの一つひとつにもう少し自分らしさやこだわりをもっと持ちたいと思っていた。

 

魔法の杖

 

魔法の杖はない。

 

時に魔法のような出来事が起こって、それを起こした人を魔法使いのように感じるれことがあるけれど、それは単なる誤解。思い過ごし。

 

自分の至らなさを棚に上げて、その人の陰の努力や苦労を見ようとしていないだけ。

 

それでも他の誰かに自分が魔法の杖を持っていると思われるのはまんざらでもない。(なんていやらしいんだろ)

 

そのために何ができるだろう?

 

そこにもまた魔法の杖はない。

 

 

 

誰かの引き立て役

 

時には誰かの引き立て役になってみてもいい。

 

ふとそんな風に感じた。

 

自分が自分の人生の主人公であることは間違いないし、その物語が充実したものになるように頑張ることを否定するものではない。

 

それでも時折立ち止まって、自分のためではなく、他の誰かのために頑張ってみるのも悪くない。

 

自分、自分という自分ファーストではなく、一歩引いて、身近な人、頑張っている家族、一所懸命な仲間を応援してみる。大切な人のためにできることを全てしてみる。

 

誰かの引き立て役になってみる。

 

そこから見える世界は決して悪くはないし、異なる価値観という想定外のボーナスが手に入るかもしれない。

 

時には誰かの引き立て役になってみよう。