たくさんのもの、ではなく、一つ、気に入ったものを何度も何度も何度も書写する。
それが幕末の長岡藩家老、河井継之助の勉強法だったという。
いわゆる多読家ではなく、気に入った一冊を見つけては徹底的に吸収し、自分のモノになるまで思考を煎じ詰める。
その方法は今も間違いなく有効であり、
全てに通ずる。
インターネットに繋げばどんなことでも調べられる時代になった。情報を得るためのコストは限りなく0に近づき、いとも簡単に世界中の情報が手に入り、最新の知識が得られるようになった。そのおかげで誰もがあらゆる情報をググっては知っているつもり、わかっているつもりになってしまう。それが表層的な満足をもたらし、結果として何も深まらず、自分のモノにならない。
情報や知識を自分の血とし、肉とするためにはそれなりの時間とエネルギーが必要なことは自明の理。
繰り返し繰り返し取り組まなければ何一つ身につくことはない。
見て読んで書いて口に出して、また書く。
一つのことをあらゆる角度から見直し、纏め、再現する。
それを壊しては一から積み上げる。
それを何度も何度も何度も繰り返す。
時代が変わっても脳の仕組みが変わるわけではない。
改めて学びの手法について考えてみたくなった。