復習するは我にあり

 

復習するは我にあり

  

「復讐」の変換ミスではない。(同名の小説や映画の話でもない)

 

復習の大切さを痛感することが最近急増している。

 

昨日のブログで幕末の長岡藩家老、河井継之助の勉強法を紹介するとともに「学びの手法」について考えてみたくなったと締め括った。

 

それを考えようとして最初に浮かんできたのが「復習」の大切さ。

 

振り返ってみると学生時代の授業では予習の重要性ばかり強調されていたような気がする。

 

復習が同じように大切なことは誰もが知っているし、テストがあることで否が応にも復習せざるを得なかったけれど、それはあくまでテストの準備の話。

 

自己責任の復習よりは授業を理解するために、クラスで恥をかかないために、どうしても予習に力が入ってしまう。

 

それでも何かを本当に身につけようと思ったら復習や反復練習は欠かせない。

 

学業然り、仕事然り。

 

インターネットが普及し、知りたいことをいつでもどこでも調べられる時代には暗記や物知りの価値は下がる一方だけれど、真の学びのためには知識は欠かせないし、それを自分のモノにするためには何度も何度も繰り返す作業が間違いなく必要。

 

学業や仕事だけではなく、

 

日々の生活の中で気づいたこと、学んだこと、このブログの中で書いてきたことが、実践できているか、身についているか、それも全く同じ。

 

復習するは我にあり


でなければならない。